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歌詞和訳 Nirvana – Come As You Are コード

1990s

1991年発表の第2作アルバム Nevermind 所収。翌92年に、米32位、英9位を記録したヒットシングル。

Come As You Are

(Kurt Cobain)

Em – D

Em D
Come as you are, as you were
As I want you to be
As a friend, as a friend
As an old enemy
Take your time, hurry up
The choice is yours, don’t be late
Take a rest as a friend
As an old
Em G Em G
Memoria, memoria
Memoria, memoria
自分らしくしてなよ、今まで通り
君にはそうあってほしい
友達らしくしててもいいし
宿敵だとしてもかまわない
ゆっくりするも急ぐも
君次第さ、でも遅れないで
休んだっていい、友達だから
古い
記憶みたいに
メモリアみたいに


Come doused in mud, soaked in bleach
As I want you to be
As a trend, as a friend
As an old
Memoria, memoria
Memoria, memoria
泥まみれでも、まっさらでも
僕の思う通りに
流行りでも、友達でも
古い
記憶みたいに
メモリアみたいに


Am C Am C
Well I swear that I don’t have a gun
No I don’t have a gun, no I don’t have a gun
お仕着せなんて絶対にしない
誓うよ


(interlude in Em – D)


Memoria, memoria
Memoria, memoria
記憶
メモリア


Well I swear that I don’t have a gun
No I don’t have a gun, no I don’t have a gun
No I don’t have a gun, no I don’t have a gun
お仕着せなんて絶対にしない
誓うよ、ガンなんて持ってない
僕は丸腰さ


Em D Em D
Memoria, memoria
メモリア


手持ちの伝記(コベイン死後の再発版)より引用

“Teen Spirit” was not supposed to be the hit. The second single “Come as You Are” was supposed to be the track that would cross over to other radio formats; “Teen Spirit” was the base-building alternative cut. “None of us heard it as a crossover song,” says Gold Mountain’s Danny Goldberg, “but the public heard it and it was instantaneous.” Right away, the then-emerging format of alternative radio began playing “Teen Spirit”. “They heard it on alternative radio,” says Goldberg, “and then they rushed out like lemmings to buy it.”
CoMe aS YoU ARe: THe StoRY oF NiRVaNA, p. 227

Nevermind からの先行第1弾シングル Smells Like Teen Spirit は意外にもメジャーデビューの名刺代わりのオルタナ曲であり、第2弾の本作こそが垣根を越えてメインストリームのリスナーにも受け入れられるだろうと目されていた旨、マネジャーの Goldberg が語っている。
つまり Teen Spirit のオルタナラジオ局でのヘビロテがメインストリームにも波及したのは嬉しい誤算だった様だ。MTVでのヘビロテ以前に大ヒットの下地は出来上がっていたのだろう。

詞については、以下の発言から窺える作者コベインの考え方を反映したものと言える。

I’d rather be hated for who I am, than loved for who I am not.
本当の自分の姿のせいで嫌われる方がマシ、嘘の自分を好かれるくらいなら。
Wanting to be someone else is a waste of who you are.
他の誰かになりたいと思う事は本当の自分を無駄にしているという事。

ゆとり世代にとっちゃ、何を当たり前の事を、てなトコだろうが(こんな十把一絡げ、反発されんだろうけど)、管理教育世代にとっちゃ、ハッとさせられる金言(多分)。

但し、引用しといて言うのもナンだけど、ちゃんとした取材者が記述したソースがネット上には見当たらないので、これらはそれなりに受け止められたし。

当初は私にもよく分からぬ歌だった。
ところがある時、
「ゆっくりしろっつったり急げっつったり、随分と矛盾した、倒錯した詞だ」と断じた私に対し、一緒にバンドをやっていた英語話者の友人が、
「そこは好きにしていいけどやっぱなるべく早く会いたいからコベインは don’t be late と控え目に念を押してんだよ」とサラッと答えた。
何ともセンチメンタルな解釈をするモンだなと思ったのと同時に妙に納得し、自身の皮相的で軽率な解釈を恥じたのをよく覚えている。

寛容を示す中に滲み出てくるセンチメントがとてもいじらしい(何ちゃって、彼に教えられなきゃ気付かなかった)。

詞を見ていきます。
As an old の所、As a known と聞き取る向きもある。そうとも聞こえはする。

memoria = One of the five canons of classical rhetoric:the discipline of memory and recall.
元は修辞学上の canon (規範)の一つで、音楽の文脈にも出て来る言葉。
その canon も、音楽では「先行句を厳格に模倣していく対位法」で、あのカノン進行で有名な「パッヘルベルのカノン」もここから来ている。

ラテン語の memoria が英語の memory(記憶)の語源だろう事は字面から分かる。
ただ、音楽の文脈におけるメモリアには特別な意味がありそう。
ここで藝大教授に御登場願いましょう。

小鍛冶邦隆「音楽・知のメモリア」より引用

 音楽という知、あるいは歴史的記憶(メモリア)としての音楽
音楽とは世界認識であるといった議論に、とりわけ郷愁をおぼえる必要はない。けっきょく音楽という行為じたいが、人間精神における知のあり方を代償的に再構成するともいえるのだから。
継承され不断に再構築される音楽は、つねに制度化されたあり方ともいえる。なぜなら音楽家の基盤はつねに社会的・文化的制度と不可分に位置づけられ、その変動は失われたものを伝統、変化したものを革新と称しつつ維持されるところからも推測できよう。
音楽における創作原理=作曲技法は、その表現原理である演奏技術とともに、巨大な歴史的記憶を構成する。その記憶=歴史(メモリア)は、伝承による音楽的ネットワークの修復と拡大を、制度として音楽家に要求しつづける。たとえそれらが、ヨーロッパ近代という局地的、時限的な制約をそなえていようと、人間精神の普遍的な原理を、特化された時代的パラダイム(範例)から、逆説的に明らかにするのである。

登場願ったのはいいが、最後のトコなんか特に何だかよう分からん。
分からんけど、分かったつもりで私なりにまとめると、
memoria = 作曲演奏技術を含む、継承され蓄積された音楽作品
てなトコか。

コベインも継承については多く認める発言をしている。
好きな歌手やらバンド、レコードについて語ったり、カバーも多くしていたり。
彼も、長い歴史の中では実はメモリアの要求によって音楽(作品)を再構成していた、または、させられていた、という事になるのだろうか。
するとグランジという新しい潮流もただの必然だったという見方も出来る。

douse = ぶっかける
soak = 浸す
コベイン(米国人)のこの二つの発音が何だか英国英語風に聞こえる。

bleach = 漂白(剤)
デビューアルバム(インディ)の表題がこれ。
stain(しみ、汚れ、汚点)や mud(泥)を消し去った、インチキな品行方正っぷりの揶揄。

ブリッジに swear なんて強い言葉が出て来てこれまたいじらしい。
gun は社会的強制力のメタファーだろう。
それは法だったり、不文律の、モラルやエチケット、道徳、倫理などと呼ばれるものだったり。
法の実効性を担保するものは詰まる所、国の暴力(装置)で、これは紛う事なき真実。
そして、国の直接の強制力は及ばぬものの、モラルや礼儀を頭ごなしに説く事も同じく暴力的な行為となる場合もあろう。
「僕はそんなものを参照して君の言動を規制したり注意したりはしないよ」というコベインの宣誓。
I don’t have a gun 精神的に丸腰だよ、と言っているのです。

gun が指すのは薬物注射だという解釈もあるが私はこれには全く否定的。
さんざん多様性への寛容を示した挙句、僕はキメてなんかいないんだよ、ホントだよ、なんていうオチじゃ余りにもアホ過ぎる。
また、コベインが gun を使って自裁した事とこのラインを結び付ける憶測もあったが、そんな予言めかしたものでもない。
公式動画に付いたコメントに、「アナタ、銃、持ってたじゃない、嘘つき!」なんていう、とてもセンチメンタルでヒステリックとも言えるものがあったが、きっと彼女は熱心なファンで、分かった上で皮肉っぽく言い捨ているのだろう。

元ネタと取り沙汰される84年発表の Eighties (Killing Joke)

コベインもリフの類似性の指摘を気にしており、果たして Killing Joke 側からクレームが付く。

もっと古い82年発表の Life Goes On (The Damned)

The Damned は「Nirvana 訴訟バンドワゴン」に飛び乗りはしなかった。この時もし The Damned が Killing Joke を訴えてればオモロかったのに。
こっちには take your time という同じ歌詞もある。リフも寧ろこっちが元祖では。

MTV Unplugged

確かにこっちだと尚更 As a known と聞こえる。Well I swear の所は When I swear と歌っている。

リハーサル

0:41
Is Scott ready now? → Scott Litt (スコットリット)

コベインとノボセリチの故郷、ワシントン州アバディーンに設置された来訪者歓迎の看板
aberdeen

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