1977年発表の第12作アルバム”Heroes”の表題曲。
シングルとしてはヒットしなかったが今でも人気の高い曲でカバーも多い。
シングル版は歌詞も端折られ曲も短いが、下掲の歌詞と音源は完全な長い方のアルバム版。
“Heroes”
(David Bowie, Brian Eno)
D G D G
D G
And you, you will be queen
C G D
Though nothing will drive them away
Am7 G D
We can beat them just for one day
C G D
We can be Heroes just for one day
そして君、君は女王になるのさ
何ものにも追い払えないものでも
僕らならほんの一日で打ちのめす事が出来る
僕らは束の間でも英雄になれるんだ
And I, I’ll drink all the time
‘Cause we’re lovers and that is a fact
Yes we’re lovers and that is that
Though nothing will keep us together
We could steal time just for one day
We can be Heroes for ever and ever
What d’you say?
して僕、僕はこれからも飲んだくれさ
僕らは恋人同士、それは紛れも無い事実
そうさ恋人なんだ、それ以上でも以下でもなく
僕らを繋ぎ留めるものなんて無くたって
この時間は僕らだけのもの、束の間だとしても
僕らは英雄になれる、永遠にだって
どう思う?
Like the dolphins, like dolphins can swim
Though nothing, nothing will keep us together
We can beat them for ever and ever
Oh we can be Heroes just for one day
君がイルカみたいに泳げたらなって思う
僕らを繋ぎ止めるものなんて無くたって
そんなの乗り越えられるさ、これからもずっと
ああ僕らは英雄になれる、束の間だとしても
And you, you will be queen
Though nothing will drive them away
We can be Heroes just for one day
We can be us just for one day
そして君、君は女王
困難を追い払ってくれるものなど無いけど
僕らは英雄になれる、束の間でも
僕らは自分らしくなれる、一日だけでも
Standing by the wall (by the wall)
And the guns shot above our heads (over our heads)
And we kissed as though nothing could fall (nothing could fall)
And the shame was on the other side
Oh we can beat them for ever and ever
Then we can be Heroes just for one day
壁のそばに立っていた時
銃が僕らの頭上で放たれ
それでも何も問題は無いとばかりに僕らはキスをした
恥を知るべきはあっちの方さ
ああ僕らはそんな困難だって打ち破れる、この先もずっと
もう僕らは英雄さ、それが束の間でも
We can be Heroes
We can be Heroes
Just for one day
We can be Heroes
一日だけでも
僕らは英雄
Maybe we’re lying
then you better not stay
But we could be safer just for one day
だから夢の様な事を語っているだけかもね
そうだとしたら君は立ち去った方がいい
だけど一緒にいれば安心なんだ、束の間でも
ロバートフリップのギターのフィードバックと共作者ブライアンイーノのシンセのシークエンスとが渦巻いて、単調で暗澹たる中に一筋の光明が見える様なイントロ。
この感じは曲を一貫する。
歌入れ直前まで詞が付かなかったのも編曲の秀逸が故か。
ベルリンの Hansa Studio にて録音。
詞の舞台も Schandmauer(独 = Shame Wall → Wall of Shame)と呼び習わされたベルリンの壁と見なして間違い無かろう。
壁で東西に隔てられたと思しき I(男)と you(女)のお話。
二人の意思とは無関係の政治のせいで逢瀬も儘ならない。しかしそんな社会情勢など顧みず、銃弾という強制力が迫る中、二人はキスを交わす。そして曰く、shame は僕らの側にあるんじゃない、愛し合う者達を分断する国家権力こそが破廉恥。
こうして二人の世界の中で男は王に、女は女王に、つまり二人は超然たる英雄となる。勿論それは通念的な、社会的な、一般的な heroes ではない。これこそがボウイが表題に引用符を付している所以。
3番までは抑制された歌唱で、虚無の雰囲気すら漂っているが、4番からは一気にオクターブ上がって、それまでの諦念や一抹の不安をも絶叫と共に捨て去ろうという覚悟が窺える。
ボウイは長年この主人公は架空の者だと言ってきたが、実はモデルがいた。それは他ならぬプロデューサーのトニービスコンティで、バックボーカリストとの不倫の逢瀬をボウイは目にしていた。架空と嘯いたのはビスコンティの体面を保つ為の方便だったのだろう。
不貞との誹りなど顧みぬ二人の実際の逢引と、当時は重大な犯罪と見なされた越境とを重ね合わせた架空の逢瀬譚歌をボウイは作り上げた。その底流には社会規範(前者民法、後者刑法)なぞ置き去りにした二人の「英雄」の主観的真実としての愛があり、ボウイはこれを以って本当の shame の何たるかを浮かび上がらせ、我々の目の前に提示する。
ベルリン滞在中に目にした屹立する壁そのものと、その名(Wall of Shame)が創作の触媒となったのは想像に難くないが、曲先という順序に鑑みれば、後付けの詞の文脈が、絶望の中の一縷の光という伴奏が与える印象によく親和しているのは見事と言う他ない。
just for one day (一日)と言ったかと思うと for ever and ever (永遠)と続く。
これは矛盾、或は大層な飛躍に見えるが、恋人同士の二人にとっては一緒にいる今こそが永遠にも感じられようし、未来永劫の長きも今のこの時に集約できるのだ。
あ、いかん、何てロマンチックな事を口走ってしまったんだ、恥ずかしい…
↑ これも、社会通念を参照したり体裁を気にしたが故に発動した廉恥心の一種。
独語版
物語の舞台の言葉で歌っている事になる。
仏語版
公式ビデオ
ボウイは口パク下手(私見)。
King Crimson
ギターは勿論ロバートフリップ。
Motörhead
オランダのTopPop出演時
口パクやっぱ下手…
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