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歌詞和訳 David Bowie – Stay コード

1970s

1976年発表の第10作アルバム Station to Station 所収。
ボウイの死後3ヶ月足らずで彼と同じ世界の住人となった Dennis Davis がドラムを叩く。

Stay

(David Bowie)

G9
This week dragged past me so slowly
A9
The days fell on their knees
C9
Maybe I’ll take something to help me
F9
Hope someone takes after me
この一週間はだらだらと俺をゆっくり通り越し
その一日一日は崩れ落ちて行った
しゃんとするにはあの力を借りなきゃダメかも
誰か付き合ってくれたらな


I guess there’s always some change in the weather
This time I know we could get it together
If I did casually mention tonight
That would be crazy tonight
空模様なんていつも何かしら変わるものだろ
今夜俺の口が滑りでもすりゃあ
今度は二人上手くやれるかも
そしたら最高の夜になるんだけどな


Am9 FM9
Stay, that’s what I meant to say or do something
E7sus4
But what I never say is stay this time
E7
I really meant to so bad this time
FM9 G9
Cause you can never really tell when somebody
Em9/A G9
Wants something you want too
そばにいてくれってのが言いたかった事
じゃなきゃ何かしてくれ
でも今は口が裂けても言いはしないよ
本当に言いたいのはやまやまだったけど
だって自分と同じものを相手がいつ求めてるかなんて
絶対に分かりっこないだろ


Heartwrecker, heartwrecker make me delight
Life is so vague when it brings someone new
This time tomorrow I’ll know what to do
I know it’s happened to you
もう意地悪はやめて楽しませてくれよ
人生なんて新しい出会いで意味も変わる
俺だって明日の今頃には何をすべきか分かってるはず
君だってそんな経験あるだろ


Stay, that’s what I meant to say or do something
But what I never say is stay this time
I really meant to so bad this time
Cause you can never really tell
When somebody wants so much too
Stay, that’s what I meant to say or do something
But what I never say is stay this time
I really meant to so bad this time
Cause you can never really tell
When somebody wants something you want too
そばにいてくれってのが言いたかった事
じゃなきゃ何かしてくれ
でもやっぱ口にはしない
本当に言いたいのはやまやまだったけど
だって相手がいつ本気で側にいたいと思ってるかなんて
絶対に分かりっこないだろ
心の中じゃそう本気で思ってた
今は口が裂けても言いはしないよ
本当に言いたいのはやまやまだったけど
だって自分と同じものを相手がいつ求めているかなんて
絶対に分かりっこないだろ


アルバムのジャケ写は本人主演映画の一コマ

本作の象徴たるリフをギターが刻む。ドラムとコンガが従順に追随。
ところが16小節が過ぎ、リズムパターンが変わる所から演奏が走り出す。主犯はデイビスのキック。
それが意図的なテンポチェンジであれドラマーの過失であれ元のリフが遅すぎたのであれ、生身の人間が音を立てている証左にこそ私はグッと来る。だからテンポのキープが出来ていないという難癖は一理あるもお門違い。一発録りかは知り得ぬが、インテンポでない事がそれをアウトテイクにはしなかった背景にも思わずニンマリしてしまう。
念の為に言うとこれは機械音を否定するものではない。

最期に臨んで手掛けた Dollar Days はボウイの感傷が直截的な言葉となって漏れ出たある種特異な歌だと指摘したが、振り返ってその40年前に書かれた本作を眺めるとこれまた弱音とも取れそうな表現が散見する。
共通項は見える。今際の際と薬物酩酊、つまり彼の心身が常態に非ざる時に作られた点が同様に特異ではある。

死の床にありながらも自身の絶筆の世に出るを見届けるべく延命措置もさせただろう。最後の最後にはモルヒネ投与などもあっただろう。
モルヒネは平たく言えば強いヘロインだから本作録音地LAで常用したコカインとは作用も異なろうが、夢現が混濁するボウイの頭の中にデジャブが起こっていたとしても不思議ではない。地球から消し去るべき最低な地と罵ったそのLAの街並みも走馬燈には映ったかも知れない。

Station to Station の録音に取り掛かる半年前
1975 Grammy Awards
https://youtu.be/CT79ysge1bM

いやいやLAに来る前からもうとっくにキマりにキマっとるがな。
開会前、アメリカ(人)は自分を誤解している、などと同じく臨席するレノンに語っていたり、ボウイにキスしたとはしゃいでみせるアレサフランクリンの口が実際には触れてなどいなかった、と後に回想したりと、とにかく神経はバッキバキに鋭敏だった模様(and others は微妙にスベッとるが。ま、これは客席を占める業界人への皮肉だろうからあんな反応にもなろう)。
40年前こんなんだった者がよく69歳まで生きたもんだ。
目が窪んだままのキースリチャーズとは違い、紅顔に戻ったのも持ち前の悪運(リチャーズはもっと長生きだからそれも悪運か)。

然りとて…

The days fell on their knees 日々がその膝を折りガクッと崩れ落ちる

こんな修辞をボウイの頭に浮かべる程にそのLAでの日々は実際 downer ではあったのだろう。
ジムモリソンの擬人詞かと見紛う。彼は既にこの世にはいなかったが、ボウイはひょっとしてこのLAの詩人を意識していたのか。

サビに至っては対訳を付けるこっちの方がイライラする始末。
決定しない事を決定した、とでも言いたいのだろう。
英語の撞着語法ではこれをいくらか短く言える。
 determinedly indecisive 決然と優柔不断な
本作中の語を使うなら vague か。

それこそ曖昧で冗漫な言い回しが drag つまりだらだらと続く(この dr と「だら」の音と語感は似ている)。しかしそれは酩酊の中で堂々巡りする偽らざる気持ちだったのかも知れず。
ウジウジやってる内に察してくれよ、という一種の甘えと取れもする。
stay と乞う対象も誰なのか同じく曖昧。
特定の異性かも知れない。
孤独や疎外に抗すべく男女遠近を問わずとにかく誰でもいいから側にいてくれという切なる思いだとすれば、幸か不幸かボウイの薬禍の道連れにされた二人のギタリストもその対象たり得はする。
いやいやそもそもが酩酊が吐かせた無意味な戯言の羅列かも知れない(何ちゃって、ワシゃ騙されんぞ、ボウイさん)。

Cause you can never really tell when somebody wants something you want too
だって自分と同じものを相手がいつ求めているかなんて絶対に分かりっこないだろ

これもまた冗長ではある。ただ決して非文ではなく構文は明快。
こんな風な思いの巡らせ方を人は想像力と呼んだり思い遣りと持て囃したりパラノイドと気味悪がったりする…
これは価値相対主義者の書いた歌、お忘れ無きよう。

casually mention = 何気なく言及する→不用意に口にする
目的語を明示せずこれまた曖昧だが、ここでは stay の一言を実際に口に出す事を指すのだろう。
つまり敢えて目的語を後続させるなら asking[begging] you to stay となる。
後出の(I’ll know) what to do もきっとこれに同じ。
あーもー、ウジウジやってるわけでも相手との駆け引きでもなく、聴き手を弄んでるだけなんじゃねーのか?ボウイの変態野郎!(おっと、これもボウイの思う壺か)

詞は全文 davidbowie.com から引き写し。珍しく(?)原盤歌唱に一字一句違わぬ


訂正:
I really meant it so badly this time

I really meant to so bad this time


公演等で3番の詞を Life is so stale(人生なぞ陳腐)や save me tonight(今夜は勘弁)などと差し替える事はある。
しかし Right is so vague というわけ分からん詞がしたり顔で流布するのはどういうわけなのか。

アルバム中、本作は最終曲の Wild Is The Wind に繫がっていく。
その歌い出し、Love me, love me… 何とも対照的。ぐずぐず優柔懐柔の舌の根も乾かぬ直後の、はきはき直截明言。互いの曲を際立たせるこの配置にはボウイの意図を強く感じる。
少し勘繰ればこの最終曲が自作曲でなくカバーである所に策士の更なる韜晦の手口の一端が窺えもする。
ならば異曲であれ言いたい事は同じかも知れないという気もする。

話は時事に逸れる。参院選。
どんな(陳腐な)争点より私の関心を強く惹いたのは大麻の医療利用を訴えた高樹沙耶。
陰ながら彼女を応援していたが果たして落選。
折からの有名人のシャブでの逮捕もあり、麻薬という言葉自体にアレルギーを起こす投票者もいただろう。その根底にあるのは思考放棄のコンプライアンス。ニュース価値にばかり重きを置き本質を取り沙汰する者が少ないのもまた要因の一つ。

幼稚な世論は人を殺す、が言い過ぎなら、見殺しにする。
末期癌患者が大麻で逮捕された。彼は乱用したのでは決してない。藁にも縋る思いで自身の生に立派に執着しただけ。
そこに法律も国家も踏み込む権利なんぞ無い。逮捕もヘッタクレもあるものか。

身近の一例。身内に関節リウマチと緑内障とに難儀する者がおり、相応の、否それ以上の施術を長きに亘り受けるも、前者は亢進するのみ、後者は両の明を奪うに至った。
副作用も無しに100%効く薬は無い。必ず成功し術後も万全な手術も無い。大麻も同列に扱うだけの事。呼び方を変えれば薬草の一つ。膠原病の免疫抑制や眼圧低減に奏功した実例が厳然とある。片や負の薬効、副作用について重大重篤な類を少なくとも私は知らない。
無論その薬効は投与対象の個体やその状態にもよるだろう。相性の問題。だからこそ面白い研究対象にもなり得る筈。
医療の本義が苦痛の緩和軽減除去ならば大麻利用を巡る現状は医療従事者の怠慢か。いやそれを断罪するのは酷、これは寧ろその背景、制度の問題。
法律は、倫理なぞいうオバケの様な社会科学的産物に阿るのではなく、生命という自然科学的摂理をこそ参照すべき。
自身の独自の知性で養生を試み露命を繋ぐ先の末期癌患者の術を奪い剰えその身を拘束するなぞは破廉恥至極。
彼が罪人?バカを言え、二重の意味でその身を挺し我々の蒙を啓いてくれた勇敢な賢人以外の何者であろうか。
公判後「次は法廷に立てないかも知れない」と語った。法の箍は嵌ったまんま。そんなものなぞ外すに如くは無し。

And the shame was on the other side “Heroes”

話は歌に戻る。
本作はボウイ死後の一時期、憑かれた様に私が何度も繰り返し聴いた歌の一つ。
はてさて彼の感傷に私の哀傷が共鳴していたのか。
ところで唇が薄い者は薄情という見立ては間違い… でもねーか(蛇足)。

テンポ、やっぱ走った方がいい?

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