57年公開の同名映画の主題歌。米22位を記録したヒットシングル。
Wild Is The Wind
(Dimitri Tiomkin, Ned Washington)
Am F
Let me fly away with you
G C
For my love is like the wind
E7
And wild is the wind
あなたと飛び去りたい
だって私の愛は風の様に
激しく吹き荒れているんだもの
Satisfy this hungriness
Let the wind blow through your heart
For wild is the wind
この飢えを満たしてほしい
風よ吹け、あなたの心にも
だってこんなにも激しいんだもの
私の愛の風は
Dm
I hear the sound of mandolins
E
You kiss me
Am
And with your kiss the world begins
C E G F
You’re spring to me, all things to me
Am E7
You’re life itself
するとマンドリンの音が聞こえる
口付ける
するとそのキスで初めて世界が始まる
あなたは私の青春、私の全て
人生そのもの
Am F
Oh, my darling, cling to me
G C
For we’re creatures of the wind
G E Am
And wild is the wind, the wind
G E Am E A
Wild is my love for you
ああ愛しい人よ、離れないでいて
だって私達は風の落とし子
そして吹き荒ぶその風、風
激しい私の愛、あなたへの
When You Wish upon a Star (星に願いを)と同じ作詞者の手によるものとは思えぬ、激情渦巻く歌。
この詞の話者は恐らく女の設定だろうが、歌い手がゲイだからややこしい。
「だわ」とか「なのよ」という語尾があれば分かり易いが、英語にそんなのは無い。
この手の日本語の語尾は、小説の会話文などにも見られるが、話し言葉(就中現代の若者言葉)の実際を反映しているとは言い難く、話者の性の辨別の為の便宜的な符牒に過ぎぬ場合も多い(気がする、余談)。
さて本作は、本家とカバーとで多様な歌唱演奏が聞ける。
原版はAmで始まるのに最後はAに軟着陸する。音楽的明転とでも言おうか。最後の最後に弛緩する。
散々シリアスに歌ってきたのに、最後に「なんてね」って言ってるみたい。
韜晦?それとも編曲者の気まぐれ?
Simone 版は、ピアノを始めとする激しい演奏の嵐で終わる。弛緩など無い。
その伴奏とは対照的に淡々たる、抑制された歌唱が、却って病的な執着を醸す。
一抹の諦念も窺える。そしてそれらは終始一貫している。
with your kiss the world begins の所、
with your kiss my life begins と少し変更。
以下のカバーは原版より寧ろ Simone 版を踏襲している。
Bowie 版
ボウイは Simone 版に感銘を受けカバーした旨を明言している。
同じく弛緩は無い。ま、こんだけ情念込めて歌っといて何ちゃってとは出来ない。
For we’re creatures of the wind から
For they are like creatures in the wind に変更。
自身(と相手)の激情を風に喩えた、本作の肝とも言うべきラインをなぜ木と葉の描写に差し替えたのだろうか(大きなお世話)。
Michael 版
原版との共通点は歌い手がゲイ。
Iredale 版
F#mに移調。
9度をより強調した演奏に私はツボった。
そしてそのギターの音だけでなく声もとてもきれい。
私が執着する様にあなたも私に執着して…
と、自身の激情への共鳴を切に求める主人公。
激しい執着は行儀の悪いものと見なされる今の時代には流行り得ない歌だろうか。
当時はストーカーなんて概念が取り沙汰される事も稀だったろうし、日本には執着を白眼視するそんな言葉自体が無かった。
だからって昔は良かったなどとノスタルジアに短絡するものではないが。
ところで本作を風呂で歌ったら気持ち良かったのでお試しあれ。
マンドリンの音が聞こえる事は無かったけど…
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