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歌詞和訳 The Smiths – The Boy with the Thorn in His Side

1980s

86年発表の第3作アルバム The Queen Is Dead 所収。85年に先行シングルとして英23位を記録。

The Boy with the Thorn in His Side

(Morrissey, Johnny Marr)

The boy with the thorn in his side
Behind the hatred there lies
A murderous desire for love
茨に囲まれた少年
その憎悪の裏に横たわるは
強烈な愛の渇望

How can they look into my eyes
And still they don’t believe me?
How can they hear me say those words
Still they don’t believe me?
And if they don’t believe me now
Will they ever believe me?
And if they don’t believe me now
Will they ever, they ever, believe me?
僕を信用してもいないのに
よくも僕の目を覗き込めるものだ
信じてもいないのに
よくも僕の言葉に耳が貸せるものだ
今僕を信用していない者が
この先僕を信用する事なんてあるだろうか
今信じずに
いつかは信じてくれるなんて事があるだろうか

The boy with the thorn in his side
Behind the hatred there lies
A plundering desire for love
茨に囲まれた少年の
憎悪の裏にあるのは
強奪も辞さぬ愛への希求

How can they see the love in our eyes
And still they don’t believe us?
And after all this time
They don’t want to believe us
And if they don’t believe us now
Will they ever believe us?
And when you want to live
How do you start?
Where do you go?
Who do you need to know?
信じもせずにどうやって
僕らの目に宿る愛が見えると言うのか
でも結局
信じようともしない
ならば今僕らを信用していない者が
この先信用してくれる事なんてあるだろうか
生を希求するにあたって
何を始めたらいいのか
どこへ行けばいいのか
誰と知り合う必要があるのか

本作をよくご存じの向きほど上記対訳に違和感を抱かれたのではなかろうか。何せ邦題の印象が強いだろうから。

「心に茨を持つ少年」

結論から言ってしまえば、この少年は自身の内部(心)に茨を持ってなどいない。

thorn の訳語たる茨は、トゲのある植物を表す他に、(偶然にも)我が国においても容易ならざる境遇の象徴になる。「いばらの道」と言ったりして、比喩として持ち出される言葉。つまりその存する所は人の外部。

例) You have been a thorn in my side.
  君がずっと悩みの種だった。

同じ言葉が登場するU2の歌
See the thorn twist in your side

「心に茨」がミスリーディングだという事を、忠義に厚いスミス/モリシファンにも承服してもらうべく、本人の弁を引用してみる(しかしこの邦題は長きに亘ってファンが共有する強力な記号だから廃れる事は無いだろう)。

The thorn is the music industry and all these people who never believe what I said, tried to get rid of me.
この茨が指すのは音楽産業であり、僕の言った事を信じず、爪弾きにしようとした人達の事。

作者本人が明言する通りこの少年は、心に茨を持っているのではなく、身近に茨を持っているのです。
詞中においては the thorn = they となる(the boy が指す人物は言うまでもなかろう)。
「彼ら」が茨の様に自身を悩ませ傷つける存在だと言って不遇を訴え不如意を嘆いているのです。
ただ「茨に囲まれた」が対訳としてベストとも思えない。が、今んトコこれしか思いつかないのでどなたかもっと唸る位いい言い回しがあったら教えて下さい(い5連続、余談)。

翻訳の妥当性にはさして留意せず、作品の文脈とは断絶された世界に陶酔するのが言わば日本独自の洋楽文化なのだろうか。
(皆とは言わぬが)訳詩家は対訳に勝手な作文を貼り付け、何となーくカッコいい邦題を乗っける。評論家もその世界に遊びながら物を書き、作品や原作者を語った気になる。
洋楽作品を商品として売る側からすれば、買う側が勝手に勝手な想像を膨らませてくれる方が実入りには寧ろ好都合だからかも知れない。
いたいけな洋楽リスナー/ファンは言うに及ばず、ネット上にとても対訳とは呼べぬ代物を平気な顔で投稿するシロート達でさえ、そんなテキトーなプロの作品紹介者達の杜撰な翻訳/解釈によって醸成された(空疎な)文化の間接的な被害者だと言える。
世の中なんてもうずーっと前から嘘が本当の服着て歩き回る post truth の時代だった。

ディラン「見張り塔からずっと」やボウイ「薄笑いソウルの淑女」などと共に本作はマズい邦題の上位に入りそう。
因に「ノルウェーの森」については、それが誤訳で「木材」が正しいとする方が早計。

それにしても歌声の何と爽やかな事。表情も実に淡々たるもの。これが例えばメタルシンガーなら攻撃対象に当て付けるべくしかめっ面で歌うところ。
逆に最大級の皮肉の手法とも言えそう。
それでいて「彼ら」を憎悪しながらも同時に愛を渇望してるんだから何ともいじらしいじゃありませんか。

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