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歌詞和訳 David Bowie – China Girl コード

1980s

1983年発表の第15作アルバム Let’s Dance 所収。英2位、米10位を記録したヒットシングル。

China Girl

(David Bowie, Iggy Pop)

G
 I could escape this feeling
Am
 With my china girl
G
 I feel a wreck without my
Am
 Little china girl
G
 I hear her heart beating
G      Bm
 Loud as thunder
Am          B
 Saw the stars crashing

こんな気持ちからは逃れられるだろうに
僕の中国娘さえいてくれたなら
僕は無残
かわいい中国娘がいないと
彼女の鼓動が聞こえる
雷鳴の如く
星が砕け散るのを見た

G
 I’m a mess without my
Am
 Little china girl
G
 Wake up in the morning where’s my
Am
 Little china girl
G
 I hear her heart’s beating
G      Bm
 Loud as thunder
Am           B
 Saw the stars crashing down

僕は滅茶苦茶
かわいい中国娘がいないと
朝めざめる
僕のかわいい中国娘はどこ?
彼女の胸が高鳴るのが聞こえる
雷鳴の如く
星が砕け散り行くのを見た

G         F
 I feel tragic like I’m Marlon Brando
Em           D
 When I look at my china girl
G             F
 I could pretend that nothing really meant too much
Em           D
 When I look at my china girl

中国娘を見ているとマーロンブランドにでも
なった様な悲劇的な感じがする
彼女の事さえ見ていれば何事も本当は
たいして意味など無いって振りもできるのに

Em D C B

Em        D
 I stumble into town just like a sacred cow
 C
 Visions of swastikas in my head
 B
 Plans for everyone
Em        D
 It’s in the white of my eyes
C B

聖牛さながら町に転がり込む
卍が頭に浮かぶ
皆の為の考え
僕の白目に映る

Em
 My little china girl
D
 You shouldn’t mess with me
C             B
 I’ve ruined everything you are (you know)
Em
 I’ll give you television
D
 I’ll give you eyes of blue
C                B
 I’ll give you a man who wants to rule the world

かわいい中国娘よ
僕にかかわらない方がいい
僕はあなたのすべてを
台無しにしてしまった
あなたにテレビをあげる
青い目もあげよう
世を統べんとする男もあなたのもの

G
 And when I get excited
F
 My little china girl says
Em             D
 Oh baby just you shut your mouth
     Em D C B
 She says shhh…

そして僕が躍起になると
かわいい中国娘は言う
あなた、口は閉じて
彼女は言う 「シーッ…」

(SRV guitar solo on Em D C B)

G
 And when I get excited
F
 My little china girl says
Em             D
 Oh baby just you shut your mouth

そして僕が躍起になると
かわいい中国娘は言う
あなた、口は閉じて

G
 And when I get excited
F
 My little china girl says
Em             D
 Oh baby just you shut your mouth
     Em D C B
 She says shhh…

そして僕が躍起になると
かわいい中国娘は言う
あなた、口は閉じて
彼女は言う 「シーッ…」


無修正版

Iggy Pop との共作。作詞はほぼイギー(らしいが詳細は知り得ぬ)。
ボウイがプロデュースしたイギーの77年のアルバム The Idiot で既に発表されていた歌。
言わば焼き直しのこのボウイ版がヒットし、その印税はイギーを金銭的に助けたんだそうな。

元祖はこちら

The Stooges の前の The Iguanas(イグアナズ)ってバンド名が Iggy の由来。前の屋号の暖簾分けみたいなモンか(違うか)。
このジャケの変チクリンなマイムみたいなポーズはボウイの影響?

最後の Oh baby… のセリフやビデオでの描写からラブソングとの印象だった。
ただ China にヘロインとの両義を持たせているらしい(ま、ただの深読みのし過ぎかも知れませんが、しばらくお付き合いを)。
ヘロインの上物を China White と言う。阿片戦争の時代からの名残りでそういう隠語ができたのだろう。
China White を色々調べてみたら、表題にしてたり歌詞の中で使ってたりする曲が散見、更には有名なクラブの名前になってたりもするので、最早隠語ですらないのか。

戦メリの時の、大島渚や坂本龍一なんかも一緒に出てた来日記念番組にて本作の内容を問われたボウイは異人種間のラブソングだとしれっと答えてた(もう一度動画を確認しようと思ったら EMI により削除。トホホ…)。
今考えると、煙草なんぞをプカリとやりながら鹿爪らしい顔をして答えてたが、きっと腹ん中じゃ「いやーホントは別の意味もあるんだけんど… でもこんなお行儀のいい国でバラす程、俺おバカじゃねーんだ」ってなトコか。

ストーンズの面々は逮捕歴のせいで何十年も訪日叶わず、マッカートニーに至っては現行犯。時代もあるだろうがボウイは抜け目ない。

抜け目ないと言えば本作収録アルバム Let’s Dance は彼の best selling album (累計超千万枚)。
後年語るに大成功は予想外… ってホンマかいな!
だって決まってた(筈の)プロデューサーで長年の相方 Tony Visconti をシカトして Nile Rodgers と制作に取り掛かってやがんだよ。
それまでのアルバムと違い自らは演奏せずバッキングトラックはロジャーズ主導。完全に下駄を預けとるがな。
時流を読んで and/or レーベルとビジネスを考えてロジャーズと組んだとしか思えん。
RCA を離れ、1700万ドル(当時のレートで40億円余)で EMI にサインしとるし。
ビジネスライクだ、などと青臭い事を申す気は更々ござらぬが。

訝るビスコンティ、電話をかける。
スタッフの女(Coco Schwab?)、応えて曰く、
「知っておいた方がいいと思いますので… 別の人ともう二週間スタジオに入っています。作業はうまく行っておりあなたにお願いする事はないでしょう。We won’t be needing you. He(ボウイ)’s very sorry. 」
ウキーッ!ベリーソーリーって本当に思ってんなら事前に本人の口から言えー!
ボケーッ!… ビスコンティに成り代わってキレてみました。
恐らくビスコンティ側の言質だろうから多少の誇張はあるやも知れんが、ほぼ事実でしょう。
何せその後二人の関係は悪化(当たり前)、2002年のアルバム Heathen までほぼ20年間協働なし。

でも何にせよ Let’s Dance は今でも大好きなアルバム。私のボウイの入口でもありました。
ソニーの青いテープに録ったヤツを繰り返し聴いた(累計超千回)。

SRV のギターソロは勿論、ロジャーズのリフやリックもとても効果的。
余り注目されはしないが、ロジャーズのリズムギターのフレージングはボウイの歌にすばらしく調和している。
音のレベル自体も控え目だし音色も地味(多分ストラトの中PUでアンプ直)って事も手伝ってはいようが、ボウイの音楽、歌唱とのケミストリ起こりまくり。SRV のソロとも絡みまくり。ソロは後入れだろうから SRV の方が絡むように弾いたと言った方が正しいのか。そう考えると尚更カッコええソロプレイだ。
本作にはイギー版を踏襲したと思しきリフもあり、それも悪くないが、出色はやっぱド頭の China riff(こんな言葉あるかどうか知らんけど)。
Bm A Bm A Bm A Bm A G A のヤツ。
China が曲名の中にあるんだったらこれでしょ、てな感じでロジャーズがサラッと作ったんだそうな。
イギー版には勿論このリフはないが、ボウイが弾くおもちゃのピアノが China っぽさを醸している。ここではボウイはサックスも吹いてます。

2013年のアルバム The Next Day の制作にも参加した Earl Slick は、76年の Station to Station 以来久々に83年のツアーでボウイとの仕事に復帰しリードギターを弾いたが、SRV のソロの印象が強烈すぎて彼のは正直イマイチだった。
ここはプライドを捨ててでも完コピでなくていいから似た様なフレージングにすれば良かった(大きなお世話)。
ま、元々代役みたいなモンだったとは言え、キャリア上は先輩だし、それは無理ってモンか。
私の場合、原盤の聴きすぎで SRV のソロが頭に刷り込まれてるだけなのかも。
もはや代替のソロがたとえ良かろうとも違和感しか覚えなくなっちゃったのか。

ドラムの音もかっちょえー。この曲は Omar Hakim が叩いた(らしい)。
Heathen にギターでゲスト参加した Foo Fighters のフロントマンの Dave Grohl(元 Nirvana)にとってこのアルバムは best air drumming album との事。曰く、
「テクニカルなドラムもいいけど、満員のバーで皆が踊ったり、ドラム未経験でもエアドラムしたりできるのが何より」
成る程。確かに当て振りしたくなるもんな。
トンプソンもハキムも充分テクニシャンなんだけど(グロールだって承知だろうが)ここでは派手な事はほぼしてない、と言うかロジャーズの指示通りやったんだろう。
しかしグロールはすっかりセレブ然としてもーたなー…

では逐語的に…
I could escape this feeling… 学校文法に言う仮定法。
if 節はないが置き換えるとすれば
with my china girl → if I were[was] with my china girl

この最初の2行の中国娘(ヘロイン)礼讃が前半を通して繰り返す。
直説法だったりするけど大体似た様な内容。

ヘロイン(heroin)と、ヒロイン(heroine)、英語での発音は全く一緒。
共にろウインに近い(アクセントは、ヘ)。
彼らはこれにも掛けたのかも(考え過ぎか)。
ギリシャのヘロス(半神)から出来た同源語らしい(半分は神ってどーゆー事?)が、日本語のヒロインは男性形ヒーロー(hero)の発音に引っ張られたんだろう。
まさか差別化する為の配慮?いやヒロインの方が日本語化は古いだろう(多分)。
ヒロポン同様、ヘロインも薬の商標名(前者除倦覚醒剤、後者鎮咳薬)。

china girl を日本語に訳すにあたり、China と言わば同源の支那娘の方が語呂もいいかと思ったけど、唐突すぎてわけ分からんとまずいから(ここで唐が出て来て余計混乱)、中国娘を採用しました。
因に、かの国の呼称に「中国」系の名を採用しているのは日本の他に南北朝鮮とベトナムくらい(今だに朝貢?)。
その他の国々は概ねインド(梵語)のチン(秦)の音を流用。
「支那」の漢字表記も、シナ人がインドから仏教と共に音を言わば逆輸入して音訳(当て字)したもの。即ち自分達で作った言葉。そのまま「秦」としなかったのは王朝が代わってたからだろうか。それともインドに行って帰って来た時には音が変わってたからだろうか。
何にせよ、日本も仏教と共に漢字表記をシナからまんま輸入。だから少なくとも「小日本」なんぞとは違い、蔑称に非ず。ま、あんだけあからさまにやられるともう、正式呼称で構わんよと言いたくなる。だって実際人口も国土も遥かに「小さい」し。
それにしても、支那… 一発で漢字変換できねーんだな!こんな所にも political correctness の考えが侵食?
ついでに言えば、韓国語って何?じゃあ、北朝鮮語もあるって事だな。
一応国交のある韓国に阿って北朝鮮を忌避し、その勢いで朝鮮という言葉自体を口にするのを憚っているのか。
筆者なぞはキムチなる朝鮮語を覚える前は当該食品を朝鮮漬けと呼んでおった。無論蔑称ではなく、ただ旨い漬物を指す名だ(旨いと思ってんだから寧ろ敬称か)。
ハングル語に至っては言及するのもアホらしい。
こんな思い遣り方が日本人にとって規範たり得るんだろうか。
話を支那に戻して…
他称を嫌うならまだ分かるが自称を逆輸入して自音訳したんだからそりゃもう自称だし、事実清朝までは普通の自称だった。だからまあ、これは強ち邪推でもなかろうが、政権を満洲から奪還した漢族が中華民国建国にあたってその呼称を中国にしたが、旧称を使い続ける日本が刷新の気運を邪魔しているとばかりに被虐の印象を前面に出したんだろう。… とか言いながら自分も「中国娘」にしてもーた…

随分話が逸れました。解釈に戻ります。
なぜ小文字(china)なのか?
作者自書が大前提、つまり誤植でなければの話だが、国を特定せず、広く東洋を想起せしめる為の方便なのでは。
つまり、英米共に歴史的にも関係の深い大国シナに東洋を代表させた。
字面の上でも些細な違いなので見過ごしてしまいそうだけど(私もこれを書くにあたって初めて小文字に気付いた)、後述の東西対比が「正解」なら大きな意味を持つ事になります。

なぜ Chinese girl でないのか?
上の通り限定的にしたくなかったのと、符割りに乗らんかったのでは。
詞先曲先どっちか分からんけど、語呂が悪いと。
… と思いきや、音節数は変わらんから乗らなくもない。

her heart beating… 2回目は her heart’s beating と微妙に変化。
文の構造も変わるので訳も変えてみました。
尤も、イギー版やボウイも公演などでは両方 heart だけど。

Saw the stars… 公式な冊子には Saw they stars… と載っているが誤り。
イギーは I see stars… と歌ってる部分あり。星が砕け散る… 幻覚?

東西の対比における西洋の堕落と解釈する向きもある様だがどうだろう。
前の heart beating を thunder の如く感じたのが
東洋(china)の勃興を暗示するものだとすると、次行は、
西洋(stars)の破滅(crashing)と解釈でき、正に
The Rise and Fall(擡頭と凋落)って事になる(ジギースターダストのアルバム表題の一部)。
栄枯盛衰。
チベット仏教に傾倒していたボウイにとって無常観は珍しいテーマでもなかろう。
司馬遼太郎が(坂の上の)雲に喩えた列強だがこっちは星(さらにずっと高い…)。

話はちょっとズレるが、thunder の勢いの擡頭で思い出すのが Loudness の Thunder in the East (85年)、しかもまんま東洋(the East)。それこそ雷鳴の如きギターリフやドラム、電光石火のギターソロに正にシビレたな。
ジギーのビルボード最高位75位(72年)に対して我らがラウドネスは74位。
続く86年のアルバムは Thunder ならぬ Lightning Strikes で64位。
わーい、英国人スターに日本人バンドが米国市場で勝ったどー、大快挙(ま、Let’s Dance は4位だけど)。
くだらん比較なんかヤメローという声が雷鳴の如く聞こえる… 幻覚?

で、ここで気になるのが「東洋」に日本は含まれるのか。
70年代には既に GNP で独を抜き米に次ぐ世界第2位の経済大国に躍り出ており、Made in Japan は良質の代名詞となっていた(Deep Purple の同名のライブ名盤は72年発表)。
よって、含まれるどころか正に日本を指している気さえする(東洋の他の国は当時、少なくとも経済的には日本の足元にも及ばない)。
彼女なしではダメだという第1,2群(各7行)だけで考えれば、日本製品を指しているという解釈も出来そう。朝起きてすぐに居場所を探す件などは、生活に完全に密着してる様を表してるみたい。作詞が米国人イギーであれば尚更。日本による「経済的侵略」に対する当時当地の一般的な風潮(バッシング)をよそに、好意的な見方をしていると言えるでしょうか。
実は同様に脅威に感じた上での皮肉っちゅう可能性もあるが。
… などなど色々想像を巡らしてはみたが、この解釈だと第5群と齟齬してしまう。
だって輸入してる側が「テレビをあげよう」って… 逆輸入?いやいや何じゃそりゃ。
てなわけでこの解釈は破綻するかも知れませぬ。

って事は逆に日本以外の東洋の当時の発展途上国を指しているのか。
日本は既に「西洋化」が済んでるとみなしてるって事か(ま、米にボコられて30余年だから大体合ってっか)。

で、heart や stars の発音… 完全に r を発音する American English(米国英語)。
作詞者が米国人のイギーだってのを伝える為か、米国市場を意識してんのか。
ま、ただのシャレかも知らんけど。
米国人のイギーよりもはっきりと r を発音しとる。
まあイギー版は酔っ払った様な、本当にキメてんのかっちゅー歌い方だからかも(こっちの方が本来の歌の意味に沿った切なさや切実さを感じはする)。
Starman や Lady Stardust では、「スター」であって「スタ R 」などと発音してない。
超ロングトーンの Life On Mars? だって「マーーーーホホーズ」。

I’m Marlon Brando の所、イギー版では I was… と、仮定法っぽく歌ってます。
でもなぜここにこの有名俳優が出て来るのか?

マーロンブランド(1924−2004)は、幼少期より人種の分け隔てなく色んな交流を持ち、人種差別撤廃や公民権に関心が高かった。しかしその反人種差別的な言動を快く思わぬ保守層からは不当な仕打ちを受けたりもした。「誇り高き白人が有色人種なんぞとつきあいおって」ってな風潮だったのだろう(なお依然とあるけど)。
きっとボウイはそんな不当な扱いを受けた彼を tragic(悲劇的)と形容し、本作に登場してもらったのだろう。

23歳のブランドの「理由なき反抗」
https://youtu.be/j2lRdkNGDcY

これは47年のスクリーンテストだが、後の55年に台本は書き換えられ、御存じの通り彼ではなく James Dean が主演。

ブランドは73年、アメリカの映画やテレビにおけるインディアンの描写や扱いに抗議すべく、ゴッドファーザー(72年)でのアカデミー主演男優賞の受賞を拒否(これより前に既に別作品で受賞してはいる)。
ボイコットは予告しており、授賞式には代役として民族衣装を身に纏ったアパッチ族末裔の公民権活動家を登壇させた。
彼女はオスカー像の授与に手の平を向け固辞。ブランド自書の15頁ものスピーチ原稿を持参するも、1分を超えたら強制退場、更には拘束の旨、主催者に言い含められていた為、その原稿を読み上げる事はせず、ブランドの意思主張を即興で手短に壇上で訴えた。
途中、切実さ故か圧力の為か泣き出しそうになり、excuse me と言葉を詰まらせる(元々緊張した面持ちだったが、確信的な眼力も湛えていた)。
ところがブーイングもある中、彼女を後押しする様に会場から拍手が沸き起こる。
Thank you on behalf of Marlon Brando.
ブランドに成り代わり皆様に御礼申し上げます、とスピーチをシメて降壇。
その後バックステージでの会見で全容を発表、後日新聞等のメディアに掲載。
該作のドン役のイメージと相俟ってインパクトは相当デカかったろう。してやったり。
この後、インディアンを絶対悪と見なすアホな茶番即ち西部劇は衰退の一途をたどる。
こうしてブランドは、当時の超高視聴率番組をうまく利用して幼少期からのブレぬ信条を世に知らしめる事に成功したのでした。
カッコえー。そして勇敢にしてとても賢い。

彼女の名は Sacheen Littlefeather(1946−)

冒頭で名乗っているが本名ではない。活動家として、インディアンに見合う名を自称しているのだろう。髪も左右に分けて縛った彼らの典型。
顔色からも窺えるが白人の血がかなり入っている。アパッチの血は父方のみで、母方は仏独蘭の白人。
because of time の時の何とも言えぬ微妙な表情。番組プロデューサーに脅されたというのも恐らく事実に違い無い。仮にこれが彼女の芝居だったとしたらそれこそオスカーものと言うべきだ。
ま、主催側からすりゃ賞なぞいらんと言いながらも主張の時間だけは寄こせって奴の代役を舞台に立たせてやったんだから、それだけでも有難く思えってなトコか。

本人による後日談

主催者の介入妨害を恥ずべき事と非難する一方、その制約の中でよくやったとサシーンを讃える。
一番最後にアメリカにおける全てのマイノリティに言及。中国人、黒人、そしてインディアンは勿論、日本人も含めている。
差別及び差別的表現を人類の愚行(silly renditions of human behavior)と喝破。
前のめりにならぬ姿勢と飄々たる語り口が逆に聞く者の心を捉える。
ブランドさんよ、アンタは何て慈愛に満ちた男前なんだ!
若い時は勿論、オッサンになってからも多くの母性本能をくすぐりまくったに違いない。
ワシの父性本能をもくすぐりやがって!


追記

50年の時を経てアカデミー側から謝罪を受けたサシーン曰く

Regarding the Academy’s apology to me, we Indians are very patient people—it’s only been 50 years! We need to keep our sense of humor about this at all times. It’s our method of survival.

アカデミーの私への謝罪について言うと、私達インディアンは実に忍耐強いから、たったの50年ですよ!これについては常にユーモアの感覚を持ち続ける必要があります。それが私達の生き残る術なのですから。

THE ACADEMY MUSEUM WELCOMES SACHEEN LITTLEFEATHER FOR AN EVENING OF CONVERSATION, HEALING, AND CELEBRATION ON SEPTEMBER 17 | Oscars.org | Academy of Motion Picture Arts and Sciences

なんと逞しい。そしてただ厳粛に謝罪を受け入れる以上の矜持を感じる。


ところで、ボウイの今のカミさんはイマンというソマリア出身の黒人モデル。明白な異人種(前妻 Angie は白人)。
で、ちょっと話は違うがボウイは英国の叙勲を2度辞退しとる。
(だからマッカートニーやエルトンジョンらと違い名前の前に Sir なぞ付かない)
で、もっと話は違うがイチローは国民栄誉賞を2度辞退しとる。
で、福本豊は辞退して曰く「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」(本当の理由は別)
うーむ、カッコえー。ブランドと同じ位カッコえーな。

先程、保守層なる言葉を使いました。
ただ、WASP や evangelical などではなくアメリカの真の保守層は「インディアン」の筈。
世紀の大発見などと言われるが、あんなモン、コロンブスが新大陸を発見したんじゃなくて、「原住民」がコロンブスの船を発見しただけ。我々の知る一般的な世界史なぞ西による西の為の記述に過ぎぬ。勝てば官軍。

話を戻します…
I could pretend that nothing really meant too much また仮定法。
could を2回言ってんだか could’ve なのかコデコデ言ってる様に聞こえる。
符割りを間違えたんじゃないかと邪推してます。ボウイがやるとなんかセクシーに聞こえるけど。
too much(uh) トゥーマッチャと歌ってるが、子音で終わる(閉音節)より、母音で終わる(開音節)方が我々日本人の耳には聞きやすく、馴染む(メタリカのヘットフィールドがよくやるヤツ)。
直前に間違えちゃったんで照れ隠しで母音を差し込んだのか、それともあっ、いかん、てな感じでうめき声が入っちゃったのか(これもただの邪推)。
それを面白いと感じたロジャーズがこのテイクを採用(勝手な想像)。

sacred cow(ヒンドゥー教の概念)と swastika(元々梵語)は共に東洋の象徴として引用しているのだろう。
ただ swastika はナチスが権威付けに利用した経緯があり、西洋ではこっちの方が馴染み深いだろう。
ボウイのナチス擁護表明(真偽不明)の為か、それとも単に仏での The Idiot 制作の次に向かう場がベルリン(独)だった為なのか。
ボウイがヒトラーを支持するとはちょっと思えんけど、100%否定するなんて事も無いだろう。

欧米では卍は、東洋を蹂躙する西洋のメタファーになっているという話も聞く。
今では欧州の多くの国で卍の使用掲載が法で禁じられている(日本の地図見たらぶったまげるか)。
ま、こんな法規制だって political correctness みたいなもんで、サンスクリットからしたらヒトラーによる採用、象徴化なんぞほんの一時の現象に過ぎず、ただただ迷惑な話だろう。
卍は、サンスクリットでは、即ち本来の意味は、幸運の象徴なのだから。

イギー(ボウイ)は卍の本来の意味を知っていて、忌避されるべき存在に仕立て上げられた現状との乖離を示す為に持ち出したのかも知れません。
異人種間の逢瀬は憚るべきもの或はそうみなすよう強いられる風潮の下、町に出て(stumble into town)、肌色や言葉が違おうと何だろうと愛しい人に逢おうとする自分こそが神聖(sacred cow)なんだと。
不運にも忌避の対象にされてしまった卍が頭に浮かぶが(Visions of swastikas in my head)、それは本当は皆の幸運の象徴(Plans for everyone)なんだと。

ただまた次の It’s in the white of my eyes が難解、と言うか殆ど不可解。
white は China White を暗示してんのか、もしくは白人?
ボウイ版は the way of my eyes(視界の邪魔)と歌ってる様に聞こえる。
だとすると、china girl に逢いに町に来たが、忌避の風潮(= It)に遮られ、彼女を探し当てるのが困難に、てな感じで文脈にも沿うんだけど…
タブー視する事を日本語で、白い目で見る、白眼視する、なんて言うけど、まさかこの白と white は関係ないよな、ただの偶然、考え過ぎか…

曲調に目を向けてみます。
同一の下降コード進行の間奏を経た第4群はサビに相当すると思うが、第1小節、3小節(I stumble, just like)が2拍目から入るのに対し、第5小節、7小節(Visions, Plans)はド頭1拍目から歌ってるので、つんのめる印象で(正に stumble!)歌詞の意味と相俟って切実さが強烈に伝わってくる。
おまけに下降する和音に対し主旋律は上昇し切迫感が強調される。
It’s in the white[waaaay] of my eyes と最後に絶叫。

次の第5群も同一のコード進行(Em D C B)で最後に同じく絶叫。
で、ちょっと戻って第3群のブリッジも下降進行(G F Em D)。
この2つの下降コード進行はほぼ置き換え可能(完全ではないけど)。
もっと言えば全部 G D C D でいける。が、これだと全くもって響きが凡庸。元の BF が持つテンションが歌詞にハマってるのでこっちの方がいい(当たり前)。
*このコード進行について稿末に追記

I’ve ruined everything you are の所、公式には I’ll ruin… と載ってるし、イギーもそう歌ってるけど、ボウイ版は完了形。

この1群も東西の対比。
give you television + eyes of blue(西洋文明文化様式スタイルを与える)
欧米列強の、与えるかに見せて搾取する欺瞞を自嘲的に表現しているのかも知れません。
日本語にもなってる give and take だけど take する為の give (のフリ)。
今は win-win なんて言葉もある。でもこう考えると take を ruin で表してるのかも。
するとこの1群の文脈の一貫性も浮かび上がって来そうです。
you = china girl = 東洋
I = ボウイ、イギー = 欧米
で、ボウイの場合、完了形で、蹂躙した既成事実を表現している事になろうか。(本当の欧も米も ruin したなどとは口が裂けても言わないだろうけど…)
ここでまたヘロイン文脈で考えると、英清間には阿片戦争があった。英が阿片禍により清を ruin したのは厳然たる史実。で、その後、殆ど言い掛かりの様な侵攻制圧。
歴史認識是正を強要するなら、その矛先はまず英じゃねーのか。香港返還時に旨い手打ちがあったか知らんが。それとも誇り高き漢族は満洲による統治自体に最早触れたくないのか。
また話が逸れました。

次の1行の man は、swastika(卍)を国旗のモチーフにしたヒトラーを暗示しているのかも知れない。もっと広く西洋人を指すのかも知れない。同じく野心を持つボウイ、イギー本人達の事だとも取れる。
文明文化を与えるに留まらず、自分自身をも差し出すという、娘をモノにする為の覚悟の表明でしょうか。
ただその帰結として ruin してしまうだろう事を知っているが故に、予め
You shouldn’t mess with me(関わらない方がいい)
と自ら勧告。
何という切ない葛藤。
第3群で「何事も本当はたいして意味などないってフリもできるのに」などと強がって見せながらやはり最後の一歩が踏み出せない。
それが故の「仮定」法(I could…)なのだろう。実際には出来ない(I can not…)。切ない。

Oh baby… イギー版では Oh Jimmy…
(イギー本人の名、本名は James で、ボウイは Jim と呼ぶ)
ボウイと The Idiot 制作中、仏の古城でイギーは、Kuelan Nguyen(読み方わからん)というベトナム人に恋をした。
どうやら china girl のモチーフはこの別嬪さんの様だ。
しかしイギー(英語話者)と Nguyen(仏語話者)の意思疎通はうまくいかず、それがストレスに。
ビートルズの Michelle に通底する異言語(英仏)が故の不如意感(尤もあっちは架空だろう)。
躍起になるイギーに対して彼女が指を彼の口に押し当て、言葉などいらないと言わんばかりに、
Oh Jimmy, just you shut your mouth… shhh…
最後はすっかり素敵なラブソングになっちった。彼女英語しゃべっとるやんけーという無粋なツッコミはしないでね。

自身の名を歌の中で異性のセリフとして囁くなんて超コッパズカしい筈。
凡人が憚る事をサラッとやって退けるのが芸術家、スターってなモンか。

イギーは2012年、多くを仏語曲が占めるカバーアルバム Après を発表。
彼女との邂逅を機に仏語を勉強したんかな。
その中で、テーマに共感したのか Michelle をカバーしている。秀逸。
マッカートニーのオクターブ下で歌い出すから面食らうけど。でも秀逸。
crooner(低音の歌い手)の面目躍如。
ま、私がボウイのも含め croon 好きなだけなのかも。
なんじゃこのミッシェルのカバーは、声低っくー!と思う人もいるに違い無い。
他の曲での原曲歌手を意識したかの様なビブラートは正直イマイチだが。

低音注意!

ベトナム語本来の漢字表記を西のラテン文字(ローマ字)が駆逐した歴史に目を遣るとまた東西対比が成り立つ(彼女の名前も恐らく本来は漢字表記なのだろう)。
イギーがこんな事にまで思い及んでいたとは思えんけど… いや、可能性はある。

ボウイは mouth の所を mouse と発音している(ビデオの「中国娘」の口は th になってるけど)。
日本語話者同様、中国語話者は th の音を持たず、それを s で代用するらしい。
ベトナム人については知らんけど、th みたいな変チクリンな音、ベトナム語にも無い、っちゅーかきっと英語にしか無いだろう。

それに対し、シー(shhh)はジェスチャーを含めほぼ世界共通だろう。
Nguyen はこの universal language をイギーに対して実際にやったんだと思う。
そして彼がこれを相互理解の象徴として歌詞に採用。
こうなるとラブソングの枠をはみ出して、もはや universal ボーダレス博愛ソング。
軽薄でキレイな耳あたりのいい言葉を並べただけの平和ボケ似非博愛ソングなんぞとは全く別物の、真正博愛ソング。
Marlon Brando にわざわざ登場願ったのにも合点が行く。

ただ彼女には仏俳優の恋人がいたらしいので、イギーに対しこの恋が成就しない旨を伝えんが為の行動だったのかも(切ない…)。
それとも単にもうウルサイっとイギーを振っただけなのかも(悲しい…)。
はたまた私の彼に知られてはマズイと静かにさせたのかも(妖しい…)。
想像は尽きぬ。

こう考えるとヘロインは内容的には余り関係無く、両義を持たせたというより詞の構成上のきっかけや触媒として使ったに過ぎないのかも知れない(ボウイが実際ドハマリしたのはコカインだがヘロインもちょっとやってる)。
ま、何にせよただの薬事歌(私なりの drug song の漢訳)や陳腐な博愛歌とはわけが違う。
すると冒頭に引いたボウイ本人による「異人種間のラブソング」という説明は真っ当至極だった。

本作の出来た経緯を勝手に推測すると…
イギーの恋物語をそのまま歌にしたんじゃありきたりだから、本当はベトナム娘だけど China White に掛けて china girl にし(ブルースリーが日本人だと思ってる欧米人も多い位だから大した事じゃなかろう)、更に東洋(sacred cow のインドも登場)に敷衍して本人達を含む西洋と彼我対比し、最終的には普遍的なボーダレスな愛を描いた… てな感じでしょうか。

歌の節は当然同じだが、ボウイのリメイクにより圧倒的多数の耳に引っ掛かったのはロジャーズのプロダクションに負う所が大きかろう。
無論イギー版が劣っているという意味ではないが、リメイク版の方が少なくとも当時「売れそう」なのは容易に想像できる。
何にせよボウイが本作を再び取り上げるに至ったのは、更に変化発展する予感があったからこそだろう。


追記

ボウイ追悼コンサート中に、上述の「置き換え可能」コード進行に関連するちょっとした珍事が発生。

第1ギターソロ後、ソロ前の
G F Em D
And when I get excited My little china girl says
に戻るべきところ、歌い手のコリーテイラー(スリップノットの仮面無し)はもう1個前の
Em D C B
My little china girl You shouldn’t mess with me
を歌ってしまう。
コード進行になまじ互換性があるモンだから混乱を来したのだろう、間違った歌詞のままG F Em Dに合わせた自作メロで切り抜ける(てゆーか誤魔化す)。
最初聴いた時は歌詞に違和感が無かったので演奏者の方が間違えたのかと思ったが、逆だった。
何にせよ、彼の歌は上手い。

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