2004年発表の寄せ集めアルバム With the Lights Out 所収。
88年には書かれていた歌で、デビューシングル Love Buzz のB面候補曲だった。
92年発表の同じく寄せ集めの Incesticide への収録はマスターテープ消失につき叶わず。
つまりこの音源は海賊版として流出したデモカセットから得たものだそうな(何じゃそりゃ)。
Blandest
(Kurt Cobain)
You’re my favorite, oh no
You’re my favorite of my favors
You’re my razor, oh no
俺のお気に入り、ああ
とっても親切
俺の剃刀、ああ
Cm Bb Cm Bb Fm
I need you around to remind me what not to become
Cm Bb Cm Bb Fm
And the situation wasn’t quite as intense as I thought
Cm Bb Cm Bb Abm7 Abm
I need you around to remind me what not to become
Abm7-Abm
Come, come, come
あんたがそばに必要、なっちゃダメなものを気付かせてくれるから
思った程ひどくはなかった
あんたがいてくれりゃこうなっちゃダメって分かる
→(verse)(chorus)
(interlude)
→(verse)(chorus)
根音から考えれば冒頭のコードはBmとなろうか。
ただギターの単音リフはBmの構成音を含むが、歌メロの favorite, saviors の所のしゃくり上げが半音を越えるも1音に満たぬ言わば3/4音しゃくりだからBでも良さそう。
でも結局(楽に弾けるし)Abm7-Abmにした。これはサビからバースに戻る橋渡し(come, come)にも使われる進行。
コード進行と言うよりギターリフありきで歌メロは作られたのだろう。言わばリフ先曲。
件の3/4音テンションの歌唱が微妙な気怠さ不気味さを醸している。
エンディングでは珍しくカッティングで倍音を鳴らしまくっている。5フレ7フレを使っていると思しきその倍音から察するにギターは半音下げチューニング。
表題 Blandest は形容詞の最上級。原級の bland の由来を当たると blend(ブレンド、混ぜる)と同根と分かる。
つまり混ざって「穏やか」「当たりが良い」という語義が生まれ、そこから「面白味の無い」という派生義を持つに至った。
それでは作者カートコベインはこの表題にどんな意味を与えているのか。
You’re my favorite
君は俺のお気に入り
I need you around to remind me what not to become
なってはダメなものを俺が忘れぬよう君にはそばにいてほしい
これら2つのラインから、人当たりの良さを褒めながらそれは無味に同義だと断じていると分かる。
すると表題には原義から派生義までもが含まれる事になる。反面教師にはそばにいてもらいたいという皮肉。
語の意味範囲を熟知する者による修辞。更には最上級にしてその印象を強めている。
後者のラインは Verse Chorus Verse の一節に似ている。
You’re the fog that keeps me clear
コベインが詞中の語をそのまま表題に据えるのは稀。
パッと思い付くのは Come As You Are くらい。
語彙の貧困の指摘などはされたくないという言わば愚かしいプライドもあるのかも知れない、などというしたり顔の評論家染みた真似はよしておこう。
あ、In Bloom もか。ん、Breed もだ… ただやはり比率で言えば少ない。
これは彼が本作に限らず作詞に際し入念にパラフレーズを施している証左。
そして本作の様な一語のみから成る表題の場合はそのインパクトは特に強くなる。
彼は言葉遊びをしながら語が内包する多義性を貪欲に利用する。語の多義性とは即ち通時性。ことばの中にある歴史。
辞書に載る語釈と自身の固定的な語感を往復するだけの者には辿り着けぬ、時を超える旅路が表題のたった一語の中にすら見出せる。
本編と表題とが互いにフィードバックを起こすのは必至。勢い聴き手もそれを考慮して詞を解釈せねばならぬ。
それに引き換え所謂「正しい日本語」なぞは下らぬ幻想の所産。教育の効率を考えた場合やむを得ぬ所もあるが、片手落ちだらけの(何本落ちとんねん)「正しさ」の押し売りには辟易する。共時的絶対的な規範文法ばかりを参照し、それがただの思考放棄だと気付かぬ愚かさ。
TVで「すいません」と言った者をさる塾講師が咎めて「すみません」としたり顔で訂正させたのを見た時はたまげた。国語の教育者だか専門家だか知らぬが、ならば音便全てを認めぬ立場を取るがいい。規範に頼るならそこまで徹底してせめて一貫性くらいは保ってくれ。そもそもまずは「すみませぬ」だろ。他人様の子音脱落を指摘しながらテメーの末尾の母音脱落には気付かねーんでやんの。「正しく」ないねえ、はいまた一本落ちた。その調子でついでに I’m gonna などと平気で言う英語話者に I am going to なる「正しい言葉」をきっちり教えてやってくれ。
言葉は目的ではなく生きた伝達の手段。コベインの様に、伝えようという強い思いがまずあって、その上で貪欲に利用してやろうとする態度にこそ初めて「正しさ」は付いて来る。
話が逸れたついでにもっと外れてみます。
上のパラフレーズ表題とは対照的な、まんま表題を多用する代表はマッカートニー。
これはごく最近思い至った事だが、ポピュラー音楽界最大の思想家はレノンでなくマッカートニーなのでは。
それはひたすら音楽が好きだ、という思想。これは強い。
平和だピ-スだと直截的に言及しない者にこそ本当のカリスマは宿る。
恐らくひたすら音楽が好きな事と平和は同値。本人もきっと自覚している。
「音楽の力」なぞいう、普通なら陳腐でしかない言辞でも、もし彼の口から滑り出ればこちらは「むむ…」と唸るしか無い。ただ多分彼はそんな言葉を軽々に口にはしないだろう。
しかし、平和というものが幻想でないなら、そして芸術家にその実現が可能だとするなら、彼以外の誰に成し得よう。逆に言えば彼に出来なければもうおしまい。ボノ?無理無理。ボウイは種は蒔いた。発芽するかも危ういが。レノンは急ぎ過ぎた。水木しげるはみっともなく立派だった。
政治家?もっと無理無理。
私はプラハのオバマに感銘を受ける程ナイーブではあったがケネディとケリーが地均しした広島に淡い期待を抱く程アホではなかった。
最前列に臨席の年老いた被爆者は私の目には日米両政権に篭絡されている様にしか映らなかった。まさか溜飲を下げる芝居を付けられてなどはいないだろうが、ピカドンを投下したかつての敵国とその現元首を招いた自国とに遠慮して本音を封じつつ幾らか演じていた部分は本人にもあっただろう。式典とは予定調和を強いるもので、況して行儀の良い日本人はそれを当たり前に斟酌する。だから尚更不憫に思えた。
今になって爆心にやって来た鬼畜の大将に「今でも恨んでいる」と心の奥底では言いたかっただろうに。あの涙の半量は自己欺瞞に忸怩たらざるを得ず流れ出たのだ。それともその半分の矜持も日米が設えた儀式という装置に懐柔され削り取られてしまっていたのか。かと言って断固と欠席したところで、また別の新たなわだかまりが生じるかも知れず。何十年経とうと消し去れぬ怨念無念不如意は察するに余りある。
果たして大統領閣下は一人称複数 we に語らせ自身はなーんにも語らず。そもスピーチライターの書いた虚飾の美文を鹿爪らしい顔で代読しただけ。それでもまんまと日本でも心を打つ名文だの優れた英文だのと称賛の声の喧しい事。皆の favorite の blandest なスピーチ。お上手お上手。言葉を「手段」として見事に利用した。「保身の手段」として。平和賞だってとっくにゲットだぜ!
8年間憚り様。あなたは黒人である以前にアメリカ人だった。さようなら。
思えばレーガンとゴルバチョフのINFの時も冬の寒い深夜というのに私はTVに齧り付いていた。憚りに起きた親にこいつエロビデオでも見とんのかと怪しまれ風邪引くぞ早よ寝えと言われても生返事で受け流し最後まで生中継を見届けた。そして歴史の証人の一人になった充足感と平和への希望とを胸に抱き床に就いた。
生返事をし生中継を見続ける生真面目な生息子… 何とナイーブな… (エロビデオ見てねーし)
あ、Nirvana の記事だった…
ラテン語起源仏語経由の naive(ナイーブ)という語の通時的な多義性については割愛。
最後はこれで強引にしめる事にします。
んー、マッカートニーにもあんま期待せん方が身の為かなあ。
追記 2018/10/21
んー、軍事大国には期待せん方が身の為… 約束は破る為にある?
ただこれは露の条約違反と中の脅威への対抗措置、米のトランプにとっちゃやむを得ぬ決断。
ゴルビーの希望的観測も…
追記 2020/6/6
— Paul McCartney (@PaulMcCartney) June 5, 2020
このマッカートニーの声明を見る限り、彼に現実を冷静に大局的に観察する視座はない。これじゃ凡百の人気取り歌手と変わらんじゃないか。
オバマの時と同じだけど、ちょっとでも勝手に期待して勝手に裏切られる自身の愚かさよ!
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