2016年発表の第12作アルバム 57th & 9th の最終曲。
The Empty Chair
(Sting, J. Ralph)
If I should close my eyes, that my soul can see,
And there’s a place at the table that you saved for me.
So many thousand miles over land and sea,
I hope to dare, that you hear my prayer,
And somehow I’ll be there.
君が僕に取っておいてくれたそのテーブルの居場所
陸海を幾千マイルも越えた遥か遠くで
君に僕の願いが聞こえればと強く思う
何とか帰り着くから
It’s but a concrete floor where my head will lay,
And though the walls of this prison are as cold as clay.
But there’s a shaft of light where I count my days,
So don’t despair of the empty chair,
And somehow I’ll be there.
この監獄の壁は死体の様に冷たいけど
それでも一条の光に身を寄せ僕は日々を指折り数える
だから椅子に誰も座ってないからって悲観しないで
僕は何とか帰り着くから
Some days I’m strong, some days I’m weak,
And days when I’m broken I can barely speak,
The place in my head where my thoughts still roam,
Somehow I’ve come home.
口もきけぬほど打ちひしがれる日もある
でも頭の中の場所に今でも思いをめぐらせる
どうにか帰り着いた家に
And when the Winter comes and the trees lie bare,
And you just stare out the window in the darkness there.
Well I was always late for every meal you’ll swear,
But keep my place and the empty chair,
And somehow I’ll be there,
And somehow I’ll be there.
窓の外の暗がりに目を凝らしてごらん
食事の時間に僕はいつも遅れてたから君は文句を言うだろうけど
僕の場所と空の椅子はそのまま取っておいてね
何とか帰って来るから
僕は何としてでも
歌詞は聞き取ったままを上に記した。sting.com に掲載のものとは少し異なるが、句読の切り方はそれに倣った。
シリア内戦取材中の2012年に誘拐され14年にISISによって斬首された米国人ジャーナリスト James Foley のドキュメンタリー映画 Jim: The James Foley Story に寄せられた歌。
スティングは作詞を依頼されるも、自身の手に負えぬと一度は断っている。
こんな詞を目の当たりにすると、彼にとっては writer’s block と格闘する事自体にも大きな意味意義があるのだろうと思えてくる。
天から降って来る様な、短時間ですんなり書けてしまう歌とはまた別の魅力が厳然とある。
難産には難産の誠実がある。
そしてそれは彼の眼差しにも見て取れる。
追記 3/10
能書なぞ語らず歌だけ歌って舞台を去るのも悪くない。が、こんなにきっちり歌(詞)について説明してから歌い出す姿勢にはただただ脱帽。と同時に音楽家としての自信もひしひしと伝わって来る。
スティングは公式サイトで SOUNDBITES/Sumner’s Tales: Sting talks… というページを設け、ポリス時代のものも含めた自作曲について語ったインタビュー記事等を多く公開している。
その一方で詞の自由な解釈を認めてもいる(これは例えば我々日本人が彼の詞をデタラメに和訳しても良いという意味では勿論ない)。
歌詞が表す所を ambiguous (曖昧)なままに放置し、意地悪な見方をすればそれによって神秘性や話題性を持たせようとする歌手やバンドもいる中、彼の作家としての誠実さは際立っている。
ただただ脱帽… はさっきしたから今度は平伏。
言うに及ばぬ事と重々承知してはいるが、彼の歌唱演奏の技術についてもやっぱ言いたい。
4弦に6弦、更にはリュートまでをも自在に操り、しかしそれは妙技をひけらかすのではなく、飽くまで伴奏に終始して歌唱を際立たせる。手の動きはインテンポなのに、口はズラしたりタメたりする事もしばしば。
これ程までに手と声帯とが有機的に結びついた(或は完全に独立した?)弾き語り技術を持つ歌手を他に知らない。
彼は少年時代にスパニッシュギターを手にした時から現代の minstrel (吟遊詩人)となる運命だったのだろう。
去る1月のボウイ追悼コンサートで彼が Blackstar と Lazarus を歌ったのにはちょっとびっくりした。なかなか余人には歌い得ぬ曲だと思っていたから。
しかしすぐに思い直す。死屍累々たる惨劇のあったバタクランの再開にもこうして立ち合い、死を見つめ、死について考え続ける彼以外の誰に歌い得ようか。
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