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歌詞和訳 The Police – Driven To Tears

1980s

1980年発表の第3作アルバム Zenyatta Mondatta 所収。

Driven To Tears

(Sting)

How can you say
That your not responsible?
What does it have to do with me?
What is my reaction?
What should it be?
Confronted by this latest atrocity
自分に責任のある事じゃない
だなんてどうして言えよう
僕とはいかに関わりがあるのか
僕の反応はいかなるものか
それはどうあるべきなのだろうか
最近のこの残虐行為に向き合った時に

Driven to tears (x3)
涙へ駆られる

Hide my face in my hands
Shame wells in my throat
My comfortable existence is reduced
To a shallow, meaningless party
Seems that when some innocent die
All we can offer them is a page in some magazine
Too many cameras and not enough food
This is what we’ve seen
手で顔を覆う
恥ずかしさが喉に込み上げて来る
快適な自身の存在が
浅薄で無意味な共犯者に成り果てる
無辜の民が死に行く中、我々が彼らに提供
できるのも雑誌や何かの1ページだけの様だ
カメラは余る程あるのに食料は足りていない
これが我々が見て来たもの

Driven to tears (x3)
思わず涙が

(guitar solo)

Protest is futile
Nothing seems to get through
What’s to become of our world?
Who knows what to do?
抗議も役に立たない
何も伝わりそうにない
我々の世界や如何に
すべき事など誰に分かろうか

Driven to tears (x7)

餓死に瀕する西アフリカはビアフラの子供をTVで目にしたスティング。その目に涙が込み上げる。
しかし作者(本作の語り手)本人にも答えは出せず。
ただ涙という生理的反応を示し、羞恥から如何ともし難い認知的不協和を覚えるのみ。
義憤に駆られる様な描写もない。それは自身も共犯者の一人との自覚があるから。

a page in some fuckin’ magazine

Pearl Jam

a page in some fuckin’ magazine

コメント

  1. 八兵衛 より:

    ずっと「Driven to tears」とはどんな語感なのだろう、「涙がちょちょ切れる」みたいな感じかな、などと思っていましたが、「思わず涙が」と来ましたか。文学的ですね。

    • deni より:

      「ちょちょ切れる」と「思わずこぼれる」は大体同じ意味合いかと。でもよく考えたら芝居でわざと出す以外は涙なんて生理の働きで出て来てしまうもの。
      一つ目の対訳は driven 単体の意味合いを示すべく「駆られる」とやりました。

      party の訳出が本作の根幹に関わる肝ですね。正義漢を気取る者が(現代においても)腐る程いる中、まず自身の情動を正直に告白して初めて公正な批判者たり得る事をスティングは弁えている。
      moved to tears の方が一般的だけど driven にしたのは聴き手にも涙の経緯を一緒に考えさせる意図があったのでは、などと想像します。
      あ、想像と言えば最近やった Tomorrow We’ll See は面白い歌です。読んでみて下さい。