いつの時代も、痛みや苦しみは子どもたちに押し寄せる。戦争で浮浪児となった兄妹が飢えて、死んでゆく『火垂(ほた)るの墓』(新潮文庫)。ドロップの缶から骨のかけらがころりとこぼれる。悲しくも美しい小説は、野坂昭如の原点だ。東日本大震災から1年、戦争の記憶を表現し続けてきた作家に、今の日本はどのように映っているのか。
ぼくの場合、締め切りギリギリにならないと原稿が書けない。構想など立てていない、というより、立てられないのだ。いよいよ、ギリギリとなって、何も考えずに出だしを書く。
「火垂るの墓」は、ぼくの手の中で餓死した妹について書いた。ぼく自身の体験がもとになってはいる。
昭和20年6月5日。ぼくは神戸で焼け出された。父は死に母は大火傷(やけど)。一家離散、文字どおり、着のみ着のままさまよった。頼るものはない。
妹が餓死したのは、玉音放送から一週間後の8月21日。ぼくにとっては14歳の夏の出来事。6月5日からの2カ月あまり、その日、その日については、刻み込まれている。
だが、文字にしたとたん、嘘(うそ)が混じる。「火垂るの墓」は、ぼくの体験にもとづいてはいるが、実際の妹はまだ1歳4カ月、喋(しゃべ)れなかった。
作中では4歳の妹が喋る。主人公の兄は、飢えた妹に最後まで優しい。ぼくはあんなに優しい兄ではなかった。わずかな米をお粥(かゆ)にして妹にやる。スプーンでお粥をすくう時、どうしても角度が浅くなる。自分が食べる分は底からすくう。実のあるところを食べ、妹には重湯の部分を与える。これを繰り返し、だが罪の意識はない。
記憶と、自分の根に絡みついた思いは異なる。記憶については文字にすることが出来ても、思いとなるとそうはいかない。ぼくの場合、締め切りという切羽詰まった形をとることによって、その思いの片鱗(へんりん)が現れるのかもしれない。
よく、戦前派、戦中派、戦後派といわれるが、ぼくはどこにもあてはまらない。焼け跡から始まっているのだ。
ある日、それまでの生活が断絶された。家族も家も学校も、ぼくの場合、昭和20年6月5日を境に消えた。混乱しているゆとりもない。今日生きていくのが精一杯(せいいっぱい)。闇市をうろついた。一面の焼け野原から、ぼくらのすべては始まる。
「火垂るの墓」を書くことで、戦争を伝えられるとは思っていなかったし、それは今も同じ。ぼくは未(いま)だに自分が小説家なのかどうか、あやふや。
だが、少しは戦争を知っている。飢えも心得ている。あんな馬鹿げたことを、繰り返してはいけない。戦争の愚かしさを伝える義務がある。あれこれあがいた結果、書くことが残った。
東日本大震災から一年が経つ。
日本は66年前、戦争に敗(ま)けた。たちまち復興をとげ、世界があれよと驚く繁栄国となった。しかし、便利さを求めたあげく、地震列島にいくつも原発をつくり、核のゴミを残し、農を棄(す)て、食いものは他国頼みの綱渡り。
ぼくにしても繁栄の恩恵を十分受けてきた。うしろめたい気持ちはある。だが、まだ足は焼け跡に置いたままのつもり。66年前の焼け跡は今はない。しかし戦後の繁栄といわれるすべて、ぼくには夢まぼろしの如(ごと)く、あやふやなものに思える。いつ一朝の夢となっておかしくない。
その危なっかしさと常に背中合わせであることを忘れてはいけない。この震災で、日本がどう変われるかが問われている。何が大事か、足もとをよく見て前に進まなければならない。そして、時に後退する勇気をもつこと。(寄稿)のさか・あきゆき 1930年生まれ。63年に『エロ事師(ごとし)たち』でデビュー。68年に「アメリカひじき」「火垂るの墓」で直木賞。2003年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、リハビリを続けている。
人間の存在のはかなさをニヒルに歌う Sting の Fragile を取り上げた事で私は野坂を想起した。
「火垂るの墓」はよく、涙なしには見られない、と言われる。
しかし、野坂が自身を投影した主人公清太は作中、一度も涙を流してはいない。
緊張の途切れぬ、饒舌にして無駄の無い引き締まった文体を追いながら、またアニメをテレビで見ながら、私も涙は一度も滲まなかった。
ただひたすら虚しさを感じ呆然となった記憶しか無い。
野坂にとっても読み手の心を揺さぶって泣かす事は主眼ではなかったと察する。
上の彼の発言にある様に、「馬鹿げたこと」「愚かしさ」を知ってもらいたかったのだと思う。
実体験が元になっているとは言え創作なので当たり前と言えばそうなのだが、自身の投影の過程で、罪悪感の反動なのか見栄なのか、主人公の「美化」がなされている事も告白している。これは最近になって初めて明かした事で、発表当初すでにこんなに明け透けに裏を語ったりはしていなかったのだと思うが、どうなのだろうか。
何にせよ野坂の人間らしさの一面が垣間見える告白ではある。
コメント
お久しぶりです。昔の記事を拝見していてちょっと気になりました。
テレビでのご活躍も印象的でしたが、若い頃に幾つか野坂昭如氏の著作を読んで影響を受けたような覚えが有ります。
で、「火垂るの墓」の中で自分を美化して書いた、という話は、発表当初ということは無いにしても、アニメ化されて話題になった後くらいの頃には既に話して居られたような気がします。実際はぶん殴って泣き止ませていた、みたいな話を聞いて子供心にショックを受けた覚えが有ります。
ぼくは、同じく戦時中の少年時代の短編で「夏わかば」というのが好きです。
映画になった頃には既に告白してたんですね。ぶん殴ってたというのは知りませんでした。でもそれが戦禍に残された者の現実だったのでしょうね。
ご紹介の「夏わかば」、レビューとかをちょっと覗いてみたら面白そうだったので今度読んでみます。