中国人が経営する、アメリカのある小さな中華料理屋にて。
注文した飯を待つ間、カウンター脇に無造作に積まれた雑誌の山にふと目が行き、そこから一冊を手に取った。
当たり前ながら漢字だらけで殆ど読み取れないが、パラパラやっている内に漫画が目に入ったので手を止めた。
そこにはこんな4コマ漫画が載っていた。
1. 夫婦と思しき一組の男女登場
2. 口論が始まり妻が夫にまくし立てる
3. 夫が反撃
4. 和解したのか抱き合う二人の横に「喜怒無常」と大書
ただの現象のコミカルな描写なのか、それとも常ならぬ感情をみだりにぶつけ合う事に対する戒めなのかは定かならぬが、私は後者と取り、人の情緒なんぞ所詮そんなモンだよなと思った。
随分前の事だが、今でもなぜだか強く印象に残っている。
私自身はただの傍観者だが、様々なソーシャルメディアが流行している。便利で楽しいから普及するのだろう。非常に有用な道具たり得る場合のあるのは知っているつもり。
私の様な小心者はしかし、軽率な伝達で要らぬ摩擦を生む恐れを気にする。
対立喧嘩炎上マーケティングの類を主眼とする者のみならず、議論を吹っ掛けるのが好きな者や、多義の憶測を呼ぶのが目的の者にとっては、それはある意味正当な使い方と言えるだろう。
でもそうではない普通のコミュニケーションの中で、簡易性即時性の利点に感け、本来やりたかった筈の意思伝達に齟齬を来すのは悲しい。
対立反目の多くは言葉足らずや勘違いに起因するものだと私は殆ど確信している。アイツは会って話してみたら意外といいヤツだった、なんてよく耳にするのは、その証左の一つだろうか(ま、それすら勘違いって場合もあるだろうが)。だからすれ違いはなるべく事前に避けたい。
私はこんな駄文を物すにも推敲を重ねる。逆説的だが私は面倒臭がり。正確に伝わらぬ事で招来しかねぬ摩擦炎上はおろか、ちょっとの齟齬も御免被りたい。
火消しの方がよっぽどエネルギーが要るだろう事は想像に難くないし、それに比べりゃ何度か読み返す事なんか屁みたいなモンだ。
5コマ目で夫婦がまたやり合ってるトコなんか見たくはないんです。
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