歌詞和訳 David Bowie – The Man Who Sold The World コード

The Man Who Sold The World,デヴィッドボウイ,ニルヴァーナ

1970年発表の第3作アルバム The Man Who Sold The World の表題曲。

The Man Who Sold The World

(David Bowie)

A Dm F

Dm          A7
 We passed upon the stair,
 we spoke of was and when
Dm         A7
 Although I wasn’t there,
 he said I was his friend
F             C
 Which came as some surprise
         A
 I spoke into his eyes
          Dm
 I thought you died alone,
          C
 a long long time ago
僕達は階段の上ですれちがい、
昔の事やそれがいつだったのかを話した
僕はそこにいなかったのに、
彼は僕を友達だと言う
それはちょっと驚きだった
僕は彼の目を見据えて話しかけた
「君は一人で死んだと思ってた
もうずっとずっと前に」


   C    F
 Oh no, not me
  Bbm     F
 I never lost control
    C   F
 You’re face to face
     Bbm
 With The Man Who Sold The World
「いや違うよ、僕じゃない
僕は理性を失った事など一度もない
君の目の前にいるのは
世界を売り渡した男」


A Dm F

Dm           A7
 I laughed and shook his hand,
 and made my way back home
Dm           A7
 I searched for form and land,
 for years and years I roamed
F         C
 I gazed a gazely stare
         A
 at all the millions here
           Dm
 We must have died alone,
          C
 a long long time ago
僕は笑って彼と握手をし、
そして家路についた
あるべき姿と居場所を求め、
何年も何年もさまよった
ここにいる何百万の者達みんなを
目を凝らし見つめた
僕達はさびしく死んで行ったに違いない
もうずっとずっと前に


    C      F
 Who knows? not me
   Bbm     F
 We never lost control
    C   F
 You’re face to face
     Bbm
 With The Man Who Sold The World
誰に分かるだろう?僕には分からない
僕達は理性を失った事など一度もない
君は顔を突き合わせている
世界を売り渡した男と


A Dm F Dm

    C      F
 Who knows? not me
   Bbm     F
 We never lost control
    C   F
 You’re face to face
     Bbm
 With The Man Who Sold The World
誰に分かるだろう?僕には分からない
僕達は理性を失った事など一度もない
君が向き合っているのは
世界を売り渡した男

A Dm F Dm…


アルバムのカバーアートは4種類。
順に、70年米国版、71年英国版、71年独国版(DPのFireballみたい)、72年RCA再発版。

DavidBowieTheManWhoSoldTheWorld 71tmwstw TheManWhoSoldtheWorld72RCA

ボウイが読んでいたと言うSF小説 The Man Who Sold the Moon と表題がそっくりだが内容は無縁。
ハーバード大学の英語の授業でも使われた、お化けがモチーフの Antigonish という詩とも共通点がありはする。

Yesterday, upon the stair,
I met a man who wasn’t there.
He wasn’t there again today,
I wish, I wish he’d go away…

When I came home last night at three,
The man was waiting there for me
But when I looked around the hall,
I couldn’t see him there at all!
Go away, go away, don’t you come back any more!
Go away, go away, and please don’t slam the door…

Last night I saw upon the stair,
A little man who wasn’t there,
He wasn’t there again today
Oh, how I wish he’d go away…

Nirvana によるカバーの方が今や有名だろうか(半音下げ)。

このカバーについてのボウイの弁。

I was simply blown away when I found out that Kurt Cobain liked my work, and I always wanted to talk to him about his reasons for covering 'Man Who Sold the World.’ It was a good straightforward rendition and sounded somehow very honest. It would have been real nice to have worked with him, but just talking would have been real cool.
カートコベインが僕の曲を好きだと知って単純にぶっ飛んだ。そして彼にカバーした理由をずっと訊いてみたいと思っていた。あれは良い実直なカバーで、何かとても正直さを感じた。彼と一緒にやれてたら良かっただろうけど、話をするだけでもクールだっただろうね。

心の込もったカバーだとした上で、意外にもこんな事も吐露している。

Until this (cover), it hadn’t occurred to me that I was part of America’s musical landscape. I always felt my weight in Europe, but not (in the US).
これまでは、僕がアメリカの音楽風景の一部だなんて思ってもみなかった。僕の重心は(アメリカでなく)ヨーロッパにあるとずっと思っていた。

おまけにこんな「苦悩」があったらしい。
ボウイがこの曲を歌うのを聴いた若いファンが言った。
「Nirvana の曲をやるなんてカッコいい!」
ボウイはこう思ったそうな。
Fuck you, you little tosser! このクソガキセンズリ野郎!

わははは、と言うか、トホホホ…
だけど予期せぬこんな反響にも触れたからこそ、アメリカでの確たる地歩を実感したのかも知れません。

では逐語的に…
was and when は、何度聴いても was at when と聞こえる。
が、どっちにしても普通の慣用表現ではなさそうだから、ま、いいか。

roam = 歩きまわる、さまよう
form and land = 姿と土地⇒さまよい求める規範⇒あるべき姿と居場所

語り手を特定しないと文脈が滅茶苦茶になってしまう。
対訳中の、私が勝手に付した最初のカギ括弧は主人公 I の語りで、続くサビの括弧内はすれちがった he の語り。
「僕」に「死んだと思った」と言われ、「彼」は否定する。

階段の上下には異なる「世界」が存在すると考えられます。
仮に上を「狂気」、下を「正気」としましょう。
「僕」は、境界の階段で「彼」とすれちがう。まだ正気を保っている僕はまだ上の狂気世界に行った事が無い筈なのに、降りてきた彼は僕を友達だと言う。
ドッペルゲンガーとの遭遇の様な体験。
彼は狂気の果てに孤独死を遂げたかと思いきや、自己統制(つまり正気)を失ってなどいないと言い張る。
そして彼は自身が「世界を売った男」だと僕に告げる。
これはつまり、狂気世界を捨て下りて来た、とも取れるし、過去に正気世界を去り、一度階段を上った、とも取れる。

笑って彼と握手したのは、死んだ(正気世界を去った)筈の男に遭遇した動揺を隠そうしたからなのか。
それとも事情を悟り自身の指針を得た安堵だったのか。
いづれにせよ、その後すぐに家路に就いたという事は、「僕」は階段を引き返す決断をしたのだろう。
(「彼」もそのまま下りたかどうかは分からない)
ただ、友達だと嘯く彼はやはり僕を階段の途中で足止めする為に現れた僕自身の分身、或は僕の自制心により結像した幻と見なすべきか。

何年もの苦悩の中で here(正気世界)にいる大勢の人達をじっと観察するにつけ、僕自身を含めた皆(we)が実は正気世界にいたつもりが正気なぞとっくに失っていた事(died alone)に気付く。
だが、「彼」と全く同じく、「僕達」は正気を失った事なぞ無いと嘯く。
社会性や理性を備えたマトモな人間だと言い張るのです。

そして再び表題を含む語り You’re face to face with The Man Who Sold The World
初出は「彼」の語りだったが、最後のは「僕」の、更に言えば作者ボウイ本人の語りだろうか。
すると語りかける対象、つまりこの You は、本作を今聴いている我々リスナー。
狂気なぞ何ら特別なものではない、皆が持つものだと、作者が暗に我々に伝えようとしているかの様。
更には、君が向き合っている「世界を売った男」とは、他ならぬ、今歌っているボウイ自身だと言っているのかも知れません。

以上の解釈には齟齬は無く(手前味噌)、この文脈の限りにおいては階上を狂気世界とした私の仮説に矛盾点は無い。

100%完全無欠であれば正気であれ狂気であれ、それは安定的だ。何も葛藤は生じないだろう。
が、そんな事はきっと稀で、狂人に理性のカケラでもあれば階段を下りたいという願望が頭を擡げるだろうし、逆に常人が階段に足を掛ける様な異常心理を自覚すれば恐怖に苛まれるだろう。

以上は言わば一般論で、作者ボウイに限って言えば、母系に錯乱者が複数いた事と異父兄が精神病院に収容された事から自らの狂気の内在に怯えるようになる。
本作に限らず、狂気の彼岸と正気の此岸を行ったり来たりする様なテーマに行き着くのは、こんな来歴とも関係しているのだろう。(後に兄は鉄道にて自裁)

狂気の発露は David Jones によるものではなく David Bowie がやっているという、ある種の自己欺瞞。
そして後には更にその上に Ziggy なるペルソナを纏うという念の入れ様。
こうする事でボウイは一定程度の「正気」を保って来たのだろう。

本作が生まれたきっかけを勝手に推測すると…
お化けの詩の「そこにいない人に会う」という表現が、不可解ながらも思い当たる節があり、ボウイの中にスコンと入って来て、階段の境界を行き来し苦悩する自分自身の表現に繋がった。

一方、原作者本人も賞賛するカバーを成し遂げた Nirvana のコベインは本作を聴いてその真意にすぐ気付いたのかも知れない。
行ったり来たりのテーマは彼の書いた歌にも多く登場する。
因に、彼に古いボウイの曲を聴くよう薦めたのは、Nirvana の当時のドラマーのチャドチャニング。
それはしかし、いくつかの階段の内の一つを示しただけで、コベインは自ら既に涅槃の頂に向かって上り始めてはいたのだろう。
そして悲しいかなボウイの兄と同様、階段の途中で足止めしてくれる者には遭遇しなかった。

私が受けた当初の印象は、何だか不思議な歌だけど深い意味がありそうだ、というだけのもの。勿論それだけでも十分に歌の魅力(引力)に成り得る。
しかしつぶさに解釈を施してみると、Nirvana によるカバーも恣意的なものなどではなく殆ど必然だったのでは、などと思い至ったりするのです。

Eno 'Live’ Mix

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