歌詞和訳 Nirvana – In Bloom コード

Nevermind,ニルヴァーナ

1991年発表の第2作アルバム Nevermind 所収。Smells Like Teen Spirit の次曲。

In Bloom

(Kurt Cobain)

Bb Gm F Ab (×2)
Bb Gb Eb B A (×2)

Bb   Gb   Eb B A
Sell the kids for food
Bb    Gb   Eb B A
Weather changes moods
Bb   Gb   Eb B A
Spring is here again
Bb   Gb   Eb B A
Reproductive glands
食い物のために子を売る
気分なんてお天気次第
春がまた来た
精巣卵巣


(chorus)
Bb   Gm
He’s the one
     Bb       Gm
Who likes all our[the] pretty songs
    Bb     Gm
And he likes to sing along
    Bb       Gm
And he likes to shoot his gun
    C        Eb
But he knows not what it means
C        Eb
Knows not what it means
And I say (×2) yeah
彼はこんな人
俺達の良さげな歌は全部好きで
それに合わせて歌うのも好きで
ブッ放つのも好き
でもその意味なんて分かってない
彼は何も分かっちゃいない
で 俺は言う… あー


Bb Gm F Ab (×2)

Bb   Gb    Eb B A
We can have some more
Bb  Gb  Eb B A
Nature is a whore
Bb   Gb  Eb B A
Bruises on the fruit
Bb  Gb   Eb B A
Tender age in bloom
もうちょいいける
自然は娼婦
果実に傷
幼気盛り


→(chorus)


Bb Gm F Ab (×2)
(interlude on Bb Gb Eb B A (×4))
→(chorus)


C        Eb
Knows not what it means
C        Eb
Knows not what it means
And I say yeah
意味なんて分かってない
何も分かっちゃいない
あー

Bb Gm F Ab (×2)
Bb


洋楽歌詞には独立した名詞(句)が意外と少ない。ちょっと違うが邦文に言う体言止めみたいなヤツ。それが本作には3つも使われている。韻文的で詩的な表現と言えばそうかも知れない。

元々本作にはブリッジ部分があったそうだが、プロデューサーの Butch Vig がマスターテープから剃刀で切り取って garbage(ごみ)として捨てた旨、ベースの Krist Novoselic が述懐している(因に Vig のバンド名 = Garbage)。
つまりは当該部分の詞も無くなり、勢い解釈のヒントも減ったって事。
何て事を…
然りとてその放擲されたブリッジに説明的な言葉が並んでいたとも考え難いし、そもバースとサビを短絡させ絶叫で接着する事でこそ本作の魅力を最大限に発揮し得たのかも知れず、プロデューサーの目で客観的に見て詞曲双方の冗漫を排除したのなら称揚されこそすれ恨み言はお門違いか(2拍の絶叫にブリッジの機能を集約したとも解せる)。
作者 Kurt Cobain が発明したコード進行とそこに乗せた歌メロも、第三者の操作によってその無比を際立たせたのかも知れない。
ただそうして生まれた魅力をも radio friendly な欺瞞と見なした… かどうかは知り得ない。

ボーカルトラックは二重録り。
当初このやり方に難色を示したコベインが「レノンもやったから」と Vig に諭され翻意した経緯がある。
コベインのリードはそう言われりゃそうかなって思うけど、Dave Grohl のハモまでも二重だそうな。これについては本当かいなってのが正直な所。

90年の Sub Pop 時代に制作されたビデオ

1PUにフロイドローズのアーム付き!ヘッドが黒いからよう分からんが Charvel/Jackson か?そうじゃないとしてもこの手のヤツは彼が忌み嫌ったLAメタル御用達のギターじゃねーか!時代が感じられてオモロイけど。
ロケがマンハッタンなのはツアー日程上の必然か、それとも彼らの野心の表われか。

クリスノボセリチの剃髪は当地での公演の不出来の懺悔。ソニックユースのサーストンムーアとキムゴードンがゲフィンのA&Rマンを連れてそのギグを見に来ており、更には当時 Nirvana を撮っていた写真家に連れられそこに居合わせたのがイギーポップ。バンドのマズい演奏にも関わらず彼は励ましの言葉を終始叫んでいた。
(CoMe aS YoU ARe: THe StoRY oF NiRVaNA, p. 133-134)

何かいい話…

今はこのビデオの版権もゲフィンにあるみたいだけど、当時のドラマーのチャドチャニングにもちゃんと印税行ってんのかな(大きなお世話)。
しかし彼は初々しくてかわいらしい。ドラミングはちょっとやっぱモタついとるがこれも彼の味ってもんか。
明らかに技術精度において勝る後任のデイブグロールのドラミングにチャニングへのオマージュを感じるのはしかし私だけではあるまい。
余談…
コベイン、ノボセリチ両名に昔の David Bowie を聴くよう薦めたのはチャニングだと本人が述懐している。
両名は Let’s Dance しか知らなかったそうな。ボウイの入り口が筆者と同じなのは何かちょっと嬉しい。ま、同世代だからそれも宜なるかな。
そんでその進言が無かったら彼らが後にボウイをカバーする事も無かったのだろう。

では逐語的に…
Sell the kids for food
明示されぬ sell の主語(売る主体者)を音楽業界やレコードレーベルと見なせば、目的語の the kids とは所属するバンドや歌手、或は彼らの作品となろうか(レーベルから見りゃバンドやその生み出す音楽が商品なのは紛れも無い事実)。
それとも sell の比喩的な意味を酌み、キッズ(ファン)を裏切ると解釈する方が寧ろ素直か。

Weather changes moods
天気で気分が変わる、とは気まぐれな流行り廃りを表す。
旧ビデオ制作時、つまりはチャニングの出演からも分かるがインディレーベル所属時、グランジはシアトルだけの小さな流行に過ぎず、そもそもそんなロックの下位ジャンルの名が人の口に上る事も無かった。
彼らはまだシーンの代表ではなく、コベインも憧れた Soundgarden が筆頭牽引者だった。
そんな彼らが新ビデオ時には既にメジャー1作目をバカみたいに売り上げ、90年代はおろかポピュラー音楽史上にも稀に見る一大潮流を生み出す事になる。

Spring is here again
Reproductive glands
(= 生殖腺)
春の到来はバンドの成功を指す。レーベルから見れば商機の事。
日本語の「生殖」には re(= 再)の含意は無いが reproductive は「再」生産。産まれた者が再び産むという連鎖。
この連続性を以って初めてレーベルという会社組織は存続し得る。流行が永続したり同じバンドが売れ続ける必要は全く無く、別の傍系の潮流が生まれたり後続の歌手が擡頭しても一向に構わない。
ビートルズ等の先行のバンドや歌手が Nirvana を reproduce したというのもまた事実。

… とまあここまでしたり顔で講釈を垂れてきたが、言葉が少ない上に先述の通り名詞句が孤立する所もあるなど余り説明的でないので、異解釈の余地はある。私のは、時代背景等から帰納的に考えて(要は憶測で)読み解いた部分も多分にある事を付記しておきます。
ただこれが「正解」なら、コベインは Nevermind でのバンドの成功のみならず、それを取り巻く世の動向までをも、驚くべき精度で予見していたと言えそう。

ブリッジの削除に鑑みれば、またノボセリチの述懐が比喩でなくテープが本当に切り取られたのなら尚更、バースとサビの間に表現上の一定の断絶が生じるのは想像でき、実際サビの詞の叙述は俄然散文的になっている。

本作就中そのサビに込めた作者コベインの思いは新ビデオでの描写によく表れている。

舞台上にアイドルが立つだけで狂喜する観客。演奏が始まろうとお構いなし。歌を聴こうともしない本末転倒。
彼の敬愛するビートルズが経験し、また困惑した狂騒に材を得たのだろう。
原盤には聴けぬファンの絶叫が(恐らく60年代の本当の狂乱映像と共に)挿し込まれている。

旧ビデオ(インディ時代)の all the に対し、新ビデオ(Nevermind 原盤)では all our と歌っている。
これについては意味に大差など無いだろうと思っていたが、今になって思い至った事を少し。
all the pretty songs が、一般的な、世の全ての(耳当たりの)いい歌を指すのに対し、後者は our(我々の)と限定的に言及している。
つまりビデオや後続の文言が表す、大衆が意味も分からぬまま聴いたり歌ったりする狂乱現象を引き起こすのは他ならぬ自分達だという確信をはっきりと詞に込めるべく変更したのかも知れない。メジャー(ゲフィン)側もその期待があったからこそ彼らと契約しプロモートしたのだろうし。
するとちょっとした地味な改変にしてその実、中々に深長。

shoot his gun = ブッ放つ
薬物注射を指すとする向きもあるが、字義通り銃だとすれば、コベインが嫌ったマッチョ風情を揶揄している事になる。

yeah は「イェイ!」ではなく「あぁ… 」なので「奴らときたら意味も分かんねーくせに… あらら」ってなトコでしょう。

第2バースは第1にほぼ対応している。
We はバンドを含む売る側を指し、買う側の欲に応える程にその商売上の欲は増す。
やってる事の実体は売春と何ら変わらない。人気があればそれだけ実入りも増える。
果実の傷はバンド自体、或はメンバーの繊細さを指すと同時に熟れ頃のサイン。
tender age は幼少の意。盛りを迎える二十歳前後のバンドの若さとこれまた繊細さを暗示。
逆に言えば若いからこそ娼婦同様商品価値がある。熟れ頃 = 売れ頃、というダジャレに行き着く。

表題を含むこの部分にコベインの流行に対する冷静な洞察が窺える。
花盛りを迎えてもその花はじきに散る運命にある事、またその短い盛りを売り手買い手(聴き手)双方に虚しく利用されるだけ(花見が酒飲みの口実にされるが如く)である事を、バンドの大成功前夜に、既に詞の中に暗示的に込めて歌っている。流行という現象の本質を見極める彼の諦観。
ただ多少は成功に酔い痴れたりちょっとは天狗になった方が心身のバランスにとっては良かったのでは、などと思うのも私だけじゃあるまい(が、それも詮無い事、彼はそんな凡人ではなかったのだろうから)。

作品に確たるメッセージや寓意を込める作家に限って自作品に大した意味など無いと嘯く。
逆もまた然り。薄っぺらのペラッペラな詞を然も意味ありげに自ら講釈する厚顔無恥な歌手も平然と存在する。
コベインは無論前者で、彼は詞に対する(主にメディアや評論家による)詮索に辟易する旨、よくこぼしていた。その詮索の結果が誤解曲解でなくとも大差無い。否、的を得た指摘の方が却って迷惑だったかも知れない。
韜晦はその鎮静化の為の止む無い方便だったのだろう。
彼の遺書(とされる物)からも読み取れる、音楽に対する純粋な憧憬と真摯な態度を考慮すれば、彼が自身の詞に多くの恣意性を許容するとは到底思えないのです。