スポンサーリンク

歌詞和訳 The Monkees – Daydream Believer コード

1960s

67年発表、米1位、英5位のヒットシングル。

Daydream Believer

(John Stewart)

G Am7/D G Am7/D

G Am
Oh, I could hide ‘neath the wings
Bm C
Of the bluebird as she sings
G Em A7 D7
The six o’clock alarm would never ring
G Am
But six rings and I rise
Bm C
Wipe the sleep out of my eyes
G Em C D7 G
My shavin’ razor’s cold and it stings
歌う様にさえずる青い鳥の
羽の中でずうっと寝ていられて
6時の目覚ましなんて絶対に鳴らない
ってのは夢の話で実際には
6時に鳴って僕は起きて
目を擦って眠気を覚ます
剃刀の刃は冷たくて刺す様に痛いんだこれが

C D7 Bm
Cheer up, Sleepy Jean
C D Em Am/D
Oh, what can it mean to a
G C
Daydream believer and a
G A7 D7
Homecoming queen
さあ起きた起きた、寝ぼすけジーン
ああ、そんな現実だって何ともないだろ
夢想家と
学園祭の女王にとってはね

You once thought of me
As a white knight on a steed
Now you know how happy I can be
Oh, and our good time starts and then
Without dollar one to spend
But how much, baby, do we really need
君は以前、僕を
白馬の王子様だと思ってた
今や僕がいかに幸せでいられるか君は知ってる
ああ、僕らの素敵な時は始まり、そして
お金は無くなる
でもどのくらい本当は必要なんだろう

Cheer up, Sleepy Jean
Oh, what can it mean to a
Daydream believer and a
Homecoming queen
Cheer up, Sleepy Jean
Oh, what can it mean to a
Daydream believer and a
Homecoming queen
(break)
Cheer up, Sleepy Jean
Oh, what can it mean to a
Daydream believer and a
Homecoming queen
Cheer up, Sleepy Jean
Oh, what can it mean to a
Daydream believer and a
Homecoming queen
ほら起きて、寝ぼすけジーン
それが何だって言うんだい
夢を追う僕と
女王の君にとって
ほら起きて、寝ぼすけジーン
それが何だって言うんだい
夢を追う僕と
女王の君にとって

主人公の男による独白の歌。

 1番
叙法が仮定法ゆえ冒頭3行は理想の夢想。次行からは一転、直説法で現実を語る。
幸運の象徴たる the bluebird が指すのは主人公の妻(か恋人)。
その彼女と一緒にずっと布団に潜っていたいという理想と、それに反し実際には目覚ましに起こされてしまうという現実を綴る。

 サビ
Jean は男女両方の名(John, Jane)の変名たり得るので、このサビで話者が替わり、糟糠の妻が明るく健気に夫 Jean に呼び掛け彼を元気付ける様子…
かとも考えたが、やはり引き続き男の発話か。すると Jean は妻の名という事になる。
夫は言う、
「ミスコン女王に選ばれた程の経歴の君と夢を追う僕にとってはそんな現実なんて何でもない」
ただ過去の事実も現在ではやはり夢想の対象に過ぎず、夫が開き直っている様に見えなくもない。

what can it mean = それが何を意味し得るか、いや大した事ではない(反語)

homecoming = 大学の卒業生が母校を訪れ再会する同窓会、学園祭
で、homecoming queen は、そこで選出される。

 2番
happy の所は実は本来 funky だったが、制作側の難色で置き替えられた。
当然ながら作者スチュアートにとっては不本意な検閲だった。
本作は有名な洋楽曲だが、この事実が日本で語られる事はほぼ無い。
そこで、どう問題視され変更させられるに至ったかという経緯はさて置き、まずは作者の本意を探るべく、元の funky を当てはめて読み解いてみます。

Now you know how funky I can be
僕がいかにみっともない時もあるか、今の君は承知している

funky は正負に亘る広い意味を持つ語だが、ここでは日本語に言う「ファンキー(いかした)」とは違う、寧ろ言わば逆の意味で使われている。
これだと、妻の目から見た過去(once)と、それに比べると思わしくない今(now)の双方に夫が言及している事になり、第1バースと同様に理想と現実をはっきりと対比する描写が認められる。
理想には程遠い現実をも受け入れる、つましくも美しい、無償の愛。
真実の愛の証明… 本来はそんな内容の歌だったと言えそう。

翻って変更後の happy を当てはめると、once と now の対比はぼやけてしまい、対句は破綻。俄然文脈に違和感が生じる。
そしてこの違和感は、私も含めた多くの人がぼんやりと感じていたものの正体ではないでしょうか。

funky の一語のみを取り立てて斟酌したのであろう検閲者の浅はかな魂胆が浮き彫りに。
理想には届かぬ現実をありのままに描く事でこそ、本作の主眼たる二人の純粋を表現し得たというのに。
周りから見てみっともないところがあろうと、夫婦の紆余曲折一切合切ひっくるめて結果として今は happy だと実感している、というのが作者が本来やりたかった描写だろう(happy という言葉を使うとするなら)。

ただ、夫の独白だとするならやはり先述の通り開き直りの憾みは否めず、お前の口から言うんかい、とツッコみたくなってしまう(自身を funky = 好ましくない、としているのはいささかの謙遜だとしても)。
夫に同調する妻の一言もあれば、一方的でない、互いの真実の愛が見て取れ、聴き手としてもスッキリするだろうに(大きなお世話)。
あ、でもやっぱ一人で語ってる方が男の得手勝手なアホさが滲み出てていいかもなあ(どないやねん)。
照れ隠しで自虐する夫を微笑みながら黙って見守る妻… てのが一番 happy で理想的(これもアホな男の幻想)。

次は聞き取り。
our good time starts and then の所、流布しているものの多くは
good times start and end との表記。
でも原盤は、starts と聞こえるので却下。
或は
good time starts and ends との表記。
でも、ends の音は聞こえないのでこれも却下。
よって、構文はちょっと変だけど私の聞き取りを採用します。
end だと、構文はスッキリしているが、これからも続く筈の good time が終わってしまう事になる。
と言うか、やっぱ and then と歌ってます。

But how much, baby, do we really need
ここも what can it mean と同様に、反語として訳出すべきか。
つまり、お金なんてそんなに必要ないさ、と。

ちょっと戻って、a white knight on a steed は「馬に跨がった白騎士」だけど、white を勝手に馬の方に移動し、更には騎士ならぬ王子様に乗馬願い、日本におけるベタな理想の組合せに勝手に変換して訳出。
(だから誤訳だろと言われりゃその通り)

ところで「無償の愛」の存在自体に懐疑的な私はこれをある種のバズワードだと見なしています(蛇足)。

日本では今や忌野清志郎のカバー版を耳にする方が多いだろうか。

コメント

  1. 猿子 より:

    この曲にこんなややこしい歴史があったとは知りませんでした。
    ただ、無償の愛はあると思います。

    • deni より:

      猿子さん ようこそ
      バンド自体が作り物だったので、さもありなん、てなトコでしょうが、作者にしてみれば不本意だったでしょうね。無償の愛は… まあ受け止め方次第です。