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歌詞和訳 David Bowie – Ziggy Stardust コード

1970s

1972年発表の第5作アルバム The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars の表題曲。

Ziggy Stardust

(David Bowie)

G D C C/B C/A

G         Bm
 Ziggy played guitar, jamming good
         C
 with Weird and Gilly, and the Spiders from Mars.
D          G        Em
 He played it left hand, But made it too far
        Am          C
 Became the special man, then we were Ziggy’s band.
ジギーはギター弾きだった
ウィアードやギリー、スパイダーズとうまくジャムって
左手で弾いていた、でも派手にやりすぎて
特別な存在になり、それで俺達はジギーのバックバンドになった

G         Bm
 Ziggy really sang, screwed up eyes and
          C
 screwed down hairdo like some cat from Japan,
D            G
 he could lick’em by smiling He could leave’em to hang
Em     Am           C
 Came on so loaded, man, well hung, snow white tan.
ジギーは歌も本物だった、目を細め髪を振り乱し
まるで日本から来た傾奇者みたいに
皆を笑顔でイチコロにも出来ればほったらかしにも出来た
すごくハイで、デカいナニをぶら下げ白雪の肌で舞台に上がった

Am G        F
 So where were the Spiders
Am    G      F
 while the fly tried to break our balls
Am    G      F
 Just the beer light to guide us,
    D
 So we bitched about his fans and
      E
 should we crush his sweet hands?
で、スパイダーズはどこにいたんだ?
洒落者が俺達の玉をぶっつぶそうとしてるって時に
ビールのネオンみたいに俺達を誘い込む
だから俺達はジギーのファンの悪口を言ってやったよ
いっそヤツの器用な手を粉々にしてやった方がいいか?

G          Bm
 Ziggy played for time, jiving us that
       C           D
 we were voodoo The kids were just crass,
       G        Em
 he was the nazz with God given ass
       Am          C
 He took it all too far but boy could he play guitar.
ジギーは時間稼ぎして
俺たちをブードゥーだとかキッズはただのマヌケだとか言ったり
でも自分の事は神が作り賜うた伊達者だなんてぬかしやがって
何でもやりすぎだったのさ まあギターの腕は最高だったけどよ

Am   G      F
 Making love with his ego
Am   G     F
 Ziggy sucked up into his mind
Am   G    F
 Like a leper messiah
      D
 When the kids had killed the man
     E
 I had to break up the band.
エゴとメイクラブして
ジギーはのけ者にされたメシアよろしく
自身の心に吸い込まれて行った
キッズがヤツを殺してしまったからには
俺はバンドを解散するしかなかった

G D C C/B C/A
G D Cadd9
Ziggy played guitar G

Ziggy とはボウイが自身の別人格(alter ego)として創作した架空のロックスターの名前。
電車でたまたま通りすがった Ziggy’s という仕立て屋の響きが Iggy(Pop)に似ていて気に入ったのと、Z で始まる数少ない洗礼名の一つだったのが Ziggy の由来で、Stardust は Legendary Stardust Cowboy という米のミュージシャンから拝借(I Took a Trip on a Gemini Spaceship という彼の曲をボウイはアルバム Heathen でカバーしている)。
キャラクターとしては、上のカウボーイ、英歌手の Vince Taylor、それから山本寛斎がモチーフになっていると言われる(山本はこの時期のボウイの衣装の多くをデザイン)。
テイラー(1939−1991)は60年前後、仏を始め大陸でも人気が高かったが、酒や薬物問題を抱え、またそれに起因してかロンドンのコンサートで自分を使徒マタイだと僭称し顰蹙を買ったりして一気に人気が落ちていく。
正に The Rise and Fall (擡頭と凋落)を地で行った。

UK original rock and roll (右がテイラー↓)「バイベ バイベ バイベ…」

では逐語的に…
jamming < jam
ジャムる、と言ったりしてほぼ日本語化しており、決まった曲でなく、音を出し合いながら即興的に合奏する事。
詰め込む、という意味の動詞から派生した(音がぎっしり)。
traffic jam と言えば交通渋滞(車がぎっしり)。
大元のジャムは果実がぎっしり。

the Spiders from Mars はボウイの当時の本当のバックバンドの名。
Mick ‘Ronno’ Ronson = guitar, piano
Trevor Bolder = bass guitar
Mick ‘Woody’ Woodmansey = drums

前身は The Hype (誇大広告、詐欺、或は麻薬常用者の意、ボウイが冗談で命名)というバンドで、ベースは Tony Visconti だった。彼は多くのボウイのアルバムにベース演奏だけでなくプロデューサーとして関わる事になる。
Ronno や Woody という渾名は Mick が二人いたから区別の為に付いたのだろう。
名字の方だから山本某を山、山っちって呼ぶ様なもんか。
(ロンソンはもっと前からこの呼び名だったかも)

Weird はベースのボールダーで Gilly はドラムのウッディを指すらしいが理由経緯はよう分からん。
weird は変な、おかしな、という意味の形容詞。gilly はバカ、という意味(それこそ両方バカみたいな渾名だ)。
公式冊子には The Spiders の前に and は無いが、原盤では歌っている。ただ公演等では歌っていない。
Weird, Gilly 共にバンドの一員だから、語法的意味的には無い方が正しい筈。

ジギーが特別な男(the special man)になったから俺達は(バック)バンドになった、と歌っている。
「俺」とはこの詞の語り手で、上の実際の構成員を参照するとギターのロンソンが該当しそうではある。

screw は名詞で、ねじ。動詞だと、(ねじを)しめる、(顔を)しかめる、(目を)細める。
fu*k の婉曲表現でもある(いや、寧ろより直截的か)。
ここにその含意は恐らくないがこの後、下ネタオンパレードが始まるから色んな可能性を排除できない。
screw up で、しめあげる、締め付ける(up はなくてもいい)。
次の down もなくていいが、up と down で対の表現にしたかったのだろう。

screw up には、台無しにする、ダメにする、という意味の、mess up に似た使い方もある。

hairdo は hairstyle に同義だが、元は特に女のヘアスタイルを指す。
バイセクシュアルキャンペーンにもってこいの言葉。

cat はカッコいい人。from Japan だから山本寛斎の事か。
それとも、「髪を振り乱」す「日本から来た」「白雪の肌」の猫だから、ひょっとしたら歌舞伎の連獅子(多分ネコ科)の事か。

lick’em < lick them = なめる、やっつける
them = his fans をスマイルでやっつける → イチコロ。
因にギターフレーズなんかのリックもこれ。
リフ(riff < refrain)ほどは繰り返さないが印象に残る効果的な一連の音。
… と私は認識するも、厳密な定義は知らない。

leave’em to hang は、ファンを宙ぶらりんの状態にしておく。ほったらかし。
hang ≒ suspend
吊るされてどっちつかずだと不安 → suspense(名詞形)サスペンス。
ズボンを吊るのは suspenders サスペンダー。
野球などの試合が続行不能で一時中止だと勝敗つかない宙ぶらりんのsuspended game サスペンデッドゲーム。
語源の pend は pending ペンディングとして日本語にもなっている。宙ぶらりんで未決、係争中の意。
pendant は首にぶら下がるペンダント。時計にぶら下がる pendulum は振り子。
それから、同源の depend は頼る。
和語の「たよる」の語感だと「寄り掛かる」イメージだが、彼の地では「ぶら下がって」頼ったりあてにしたりするんだな、などと感心してたら Suffragette City の一節 Don’t lean on me man を思い出した。俺に頼らないでくれ。
それからストーンズの Let It Bleed のド頭
Well we all need someone we can lean on 頼れる人が必要
「寄り掛かる」方もあるんでやんの…
こん時のジャガーの lean の発音ときたら、我々が英語教師から聞かされる、舌を上前歯の裏に付けてってヤツを丁寧に再現してくれてるみたい。口角をめいっぱい上げて歌うジャガーの顔が目に浮かぶ(ジャガーつっても横田じゃなくて、ミックの方)。

話を戻して、笑顔でデレデレにしたかと思ったら放置プレイ(ツンデレ?)。
ただ leave’em to hang は、ジギーがステージをハケても聴衆は帰らずに居残る(hang around)様子を表しているという解釈も出来る。
(同アルバム最終曲 Rock ‘n’ Roll Suicide の中に、満員の観衆が帰らずに居残る(linger)という件がある)
けどツンデレの方が解釈としてオモロイ(し、多分こっちが正解)。

Came on の前に He を言ってるけど、ここはどっちでもいいか。
load は、荷を積む、だから loaded は、荷を積まれた状態。
で、この文脈での荷は薬か酒。キメてんだか酔ったんだかでハイになっている様子。

Velvet Underground が70年に発表したアルバム表題はずばり Loaded

upload, download は荷の積み降ろしの感じから作られたコンピュータ(ネット)用語。
私が学生時代から使う研究社の新英和中辞典(77年版、ボウイのベルリン時代だ)には当然載ってない。最新版には載ってんのかな。もはや旧英和中辞典…

well hung = よく下がっている→デカいイチモツ(説明省略)
snow white = 雪の様に白い
白雪姫もこれ。直喩に使う名詞を前に置いて作る形容詞。
他には例えば Rainbow の曲名などにもある stone cold = 石の様に冷たい。
ただ形容詞にする場合は、表記上厳密にはハイフンが間に入る(stone-cold)。
tan は suntan(日焼け)のイメージしかなかったから white とは全く繋がらなかったが、元は、オークの樹皮、またそれを使って獣皮をなめす、の意。
その樹皮や緑茶などに含まれるタンニン(酸)の語源でもある。皮をなめすのにタンニンを使うんだそうな。
「皮をなめす」って聞いた事はあるがどうする事か説明しろと言われても分からんからついでに調べてみました。漢字は革と柔をくっ付けた鞣を当て、「鞣す」と書き、皮を腐らせないように加工する事なんだと。
ポリフェノールの一種であるタンニンの渋味成分の殺菌効果や抗酸化効果で防腐性耐久性耐熱性を高め、皮(hide, skin)を革(leather)にする工程。
西部劇のローハイド(Rawhide)は、raw(生の)hide(皮)、つまりなめす前の生皮(きかわ)、生皮の鞭、またその鞭で打つ、の意。

話を戻して、つまり tan≒skin って事だけど、じゃなんでわざわざ tan を使ったのか?
sang, Japan, hang, man と来てるから skin じゃまずかったのでしょう。
強引に押韻すべく、本来は人間の皮膚には使わない tan を差し込んだ。
  ↑ これも(日本語的には)韻踏んでます(本家中国ではどうか分からん)。
ジギーは他所から来たという設定(alien)だから肌がちょっと人間とは違うという含意もあるのかも。
1番では guitar, Mars, far そんで hand, man, band と押韻。
ただ順序がごっちゃだから、ちゃんとした脚韻とは言えないかも知れません。

snow white に戻ります。
実際この時期のボウイやロンソンはバカ殿と見紛うほど白く塗ってます(志村けんの方がだいぶ後か、彼はグラム好きなのかも)。
でも衣装も含め、あれってカッコいいのかなあ?衣装というより円谷プロの着ぐるみみたいなのもある。でもベタな異星人を想起させたんだからボウイの目論見通りか。白塗りはダダへのオマージュ?
でまあ、ボウイとロンソンはまだノリノリだからいいとして、ウッディとボールダー…
着せられた感ハンパねー。実際最近のインタビューで二人が苦笑失笑しながら当時の衣装やボウイについて語る映像を見たことがある。
最近つってもボールダーは2013年に他界(享年62)しているから数年前のものか。
(5月21日に世を去ってて前日20日にはドアーズのレイマンザレクも74歳で亡くなってた)

ロンソンは既に癌に侵されていた92年、フレディマーキュリー追悼コンサートにボウイらと参加。こん時、青いテレキャス弾いてたけどレスポールより似合ってた。勿論白塗りは無し。こっちの方が男前。
演奏に没頭し振る舞いも控え目なのに、その発する輪郭の明確な音と相俟って不思議な存在感を放っていた。死期を悟った者の境地だったのか。
翌93年に46歳の若さで逝去。

昔の相棒ボウイと、その後の盟友 Ian Hunter と共に

カウントに間に合わず初っ端ミスっちまうけど…
Def Leppard の面々はボウイの大ファンだそうな。

では、第3群のサビに踏み込みます。
前にも語り手「俺」に触れたが、ロンソンだとすると彼もギター弾きだからジギーのギターにいちいち言及するのはちょっとおかしい気がします。
彼はボウイ作品においては、プロデューサーとしてのクレジットこそないが編曲者としても認められており、他の二人とはプレゼンスが段違い。
(同じ72年のLou Reed のTransformer はボウイとロンソンの co-produce)
でもバックバンドの中の誰かなのは間違いないだろうから、担当楽器も特定されないもう一人のメンバーと仮定します。

fly は前出の cat と同様にカッコいいヤツの意で、ここはジギーを指す。
spider(蜘蛛)は fly(蝿に代表される小さな羽虫)を巣に掛けて捕食。
そう考えると本来はジギーより俺達の方が優位だという含意があるのかも。
ball をコンサートの比喩で舞踏会とする向きもあるが、ここは balls = 金玉(ちゃんと複数形だ)。
また、勇気という意味もある(男の勇気はあそこにあるのですね)。
下ネタオンパレードはきっとボウイの(バイ)セクシュアリティの宣伝。

ファンが特別な男ジギーに熱狂するのに反比例してバンドメンバーは存在感を失っていく。
ジギーが俺達の玉をつぶす、或は勇気、やる気を無くさせようとしていた時にスパイダーズはどこにいた?(そもそもいたのか?存在感なんてまるで無し)
「俺」の自虐的なジギーへの当て付け(sarcasm)。
ビールのネオン看板の様に目立って俺達を導いたが、好対照の地味な引き立て役にされただけだった。もうこうなりゃヤケクソ、ジギーのファン(his fans であって俺達のファンではない)に悪態でもついて、いっそジギーの器用な手でもぶっ潰してやろうか。
sweet = すばらしい。これも当て付けだ。

米国人は、両手で peace sign を作る様に指を4本立てて、その関節を曲げ伸ばしするジェスチャーをやる。
これは double quotation mark(” “)を模していて sarcasm の手段となる。
さっきの his sweet hands の時に「俺」がこれをやってる絵が目に浮かぶ。
(irony も皮肉だが sarcasm には悪意や攻撃の意志がある点で異なる)

日本語で言うクラッシュには3通りある。
crush crash clash と綴りも発音も全て異なるがカタカナでは辨別できない。
crush = グシャっと(押し)つぶして原型がなくなるほど粉砕する。ジギーの手を粉砕骨折… 残虐。
crash = ガチャンと衝突して壊れる、壊す。飛行機や車の事故、パソコンの故障もこれ。
clash = ジャンジャン、ガチャガチャ音をたてる。音をたててぶつかる。バンドのクラッシュはこれ。

先出テイラーの Brand New Cadillac をカバー

三つとも擬音由来の言葉で意味が重なる部分もあるが、ものがぶつかってデカイ音が出るのが clash(壊れるかどうかは関係ない)、音を立ててその結果壊れる、壊す事にまで言及するのが crash、一番他動詞っぽくて音よりも、壊して変形させる事に重きがあるのが crush、となる。
シンバルのクラッシュってどれだろうと思い調べてみました。
音を出すのが目的の楽器なのでやはり clash cymbal… と思いきや、これは両手で持ってジャーンとやるオーケストラなんかで使う元々のシンバルを指し、ドラムキットが発明されて後のその中にあるクラッシュは crash cymbal でした。
後者は1928年に Zildjian が初めて使った言葉だそうな。従来の物と区別する為に名付けたのだろう。

clash

crash

そして clash cymbal やキットの中の hi-hat を閉じてバシャっと音を出すやり方を、今度は crush と言う。確かに押し潰す感じだ。

シンバル界には何と三様のクラッシュがあった。

ここでちょっと引っ掛かってた1番に戻ります。
ジギーが特別だったから俺達はバックバンドになったって所。
He was the special man, then we became Ziggy’s band. だったとしたら、ジギーは特別だったから(絶対的なフロントマンだとメンバーも認めて)俺達はバックバンドに(進んで)なった、彼をサポートしようじゃないか、と解釈できるが実際は逆。
(He)Became the special man,then we were Ziggy’s band.
ヤツは特別な存在に自らなった(勝手に目立ちやがって)。観客の注目もヤツに集中。then その時点で俺達はヤツのバックバンドだった(自動的に成り下がってしまっていた)。
不承不承。ジャムってた頃は対等にわたり合ってたのに、てな事だろう。

第1、2群だけを聴くと、こんなにジギーってスゲー男だ、あんなにカッコいいヤツなんだという、ファン目線でのジギーに対する手放しの賞賛だと多くの人が思ってしまうだろう。(私も含め)人のいいヤツなら皮肉だなんて思わないもん。
このジギー礼讃と読み誤った事が第3群を難解ならしめた。
だって、あんだけ褒めてたのに手をぶっ潰してやるって、情緒不安定にも程がある。

jiving < jive は動詞で、いい加減なことを言う、の意(名詞だとジャズやスウィングを指す)。

voodoo は色んな曲に登場するが、呪術を使うアヤシイ宗教だっちゅう漠然とした認識しかなかったので改めて調べてみました。
voodoo は精霊の意。西アフリカのベナン発祥で、当地の国教。ダンスや歌、動物の生贄、神懸かりなどの儀式がある。
宗教法人として認可された教団は皆無という事だが、認可申請したのに却下されたって事?
布教活動もしないため、宗教というより民間信仰なんだそうな。
でも団体などなくて組織的な活動もしてない方が純粋な信仰って気がします。
西アフリカやハイチ、ニューオーリンズで行われ、信者は全世界で五千万人にも上ると言う。
でもやっぱ生贄やら神懸かりなんかの印象で奇異なる信仰の感が強いんだな。
つったって日本にだって呪術はあるし、宗教なぞ大元はどこだって似た様なモンだろう。キリストだって人間の sacrifice(多分)。

ロックコンサートの観客やファンは若年層が多いからかよく kids と呼ばれる。
つまり kids = fans, audience
crass = 愚鈍な
nazz = ? こんなん辞書に載ってない。が、ナザレのイエス(Jesus of Nazareth)から来ている様で、これまた、超カッコいい人、の意。
ass = ケツ(の穴 = asshole)、頑固者、バカ。
原義は、ロバ、だがこの意に遭遇する方が少ない。
こんな成句がある。
an ass in a lion’s skin = ライオンの皮をかぶったロバ
つまり、虎の威を借る狐(動物替わっちゃってるけど)
shit 同様、良い意味に転じる事もある。で、ここはそう捉えるべきで
the nazz with God given ass = 神が与へしカッコいいスタイルを持った洒落者。

ここでは、that 節がどこまでかってのが解釈上重要になってくる。
直後の voodoo までじゃなく、2、3行目まで全部、つまり ass までの語り手が「俺」でなくジギー。
nazz なんて言葉を使ったのも crass 同様勿論押韻の為もあろうが、自分をマタイと言い放ったテイラーの暗示だろう。
took it all too far = それを全てすごく遠くへ持って行った
即ち、第1群の made it too far 同様、やりすぎたの意。
could he play guitar 倒置して強調、彼は(上手に)ギターが弾けた。

自身のバンドを voodoo 、観客をマヌケ呼ばわり。で自分はと言うと超然たる存在。
そんな言いたい放題のジギーを嘲りながら but boy(でも、嗚呼)ギターの腕は確かなんだと感服せざるを得ない、悲しい皮肉屋さん。

エゴとメイクラブ… うーむ、我ながら恥ずかしい訳出。字面まんまだし。でもこれが一番伝えてる気がする。
sucked up into his mind 心の中へ吸い込まれていく
It sucks.(それダセー、カッコわりー)という風にも使われます。この場合は自動詞(口語)。
吸い込む、からの派生で例の他動詞にもなる(こっちは卑語)。
舞台上でボウイがロンソン(のレスポール)に対してこれを模した行為をやった。

suckronson

leper = らい(ハンセン)病患者
治療法の確立されていなかった昔は隔離されたり不当な差別を受けた(当時は把握されていなかったが本当は伝染力は非常に低いそうな)。
その名残りで、世間から毛嫌いされるのけ者、の意で使われる。

自らは messiah(救世主)だと大言するもファンはシラけて離れていく(こりゃもう間違いなくテイラーを暗示)。
ジギーに熱狂し、神輿を担いで Rise させたのもファンなら、愛想を尽かし、担いでいた手を離して Fall させたのもキッズだ。
イッテコイで元の地べたに戻っただけだが、もはや死に体(Rock’n’Roll suicide)。
そして俺はバンドを解散させるハメに…
(ここは break up your band とも聞こえる)

ジギーとスパイダーズを実際のボウイとロンソン達とみなすと齟齬が生じる所があるが、前述の様に語り手を架空のメンバーとして全体の文脈を sarcasm だとすると整合する。
しかし本当の語り手は、当然作者であり本当の the special man たるボウイ。
それに対し、同じ舞台に立つとはいえ、ファンからの反応反響も圧倒的に小さい、存在感稀薄なバンドメンバー。
同じ立場の架空のメンバーに sarcasm で自らをこき下ろさせる様な詞を書き、彼ら(ウッディ、ボールダー)の溜飲を少しでも下げようとしたのか、それともスターがいてお前らがいるのだ、分を辨えよと彼我の別を諭したのか、はたまた不易ならぬただの流行だと無常を説いたのか。

Kurt Cobain (Nirvana)は人気絶頂期のインタビューで、音楽業界が next Nirvana を見出そうと躍起になっている、と水を向けられた際、70年代後期の punk movement に言及しながら、そんなものは当面のただの(主にビジネスの面の) trend に過ぎない、と一蹴している。
愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ、などと言うが、コベインは間違いなく(ロックの)歴史に学んだ賢者だろう。
ヒッピーの本質とその後続の似非文化(fake)や New Wave の流行にも言及している。発生の年と場所がすらすら口をついて出てくる様子から察するに、彼は現象の本質を見抜く目を持っていたのだろう。

クリスノボセリチのちょっとした勘違いで槍玉に挙がった Extreme は気の毒と言う他ないが、少年ナイフの事は皆よっぽど気に入っていたのが窺える。
“supposedly alternative underground” music scene
“オルタナティブでアングラって言われる”(↑sarcasm 指4本動かしとる)
事象の本質を語るに sarcasm が外せぬ現実は、言語が”皮肉”を機能として内包する事を物語っている。
alternative や grunge だって彼らの自称でなくメディアによる他称。
それにしてもこの時、言葉少なにスッとぼけた感じで、次のレコーディング(In Utero)の事すら知らされぬ程のプレゼンスだったグロールが今や王道をひた走るなんて誰が予見し得ただろうか。コベインだけは分かっていたのかも。ドラム、コーラスのみならぬグロールのマルチプレイヤーとしての高い演奏歌唱能力をも知っていただろうし。グロールの作曲能力に関してもコベインは晩年、一定の評価を与えていた。

ジギーは経験にも学べぬ愚者。ボウイはその愚者を演じる賢者。
自身も認めているが、彼は歌手である以前に演技者だ。そして脚本(作詞)家でもある。
愚者を皮肉る架空のメンバーの視点で脚本(詞)を自身で書き、その愚者自身を演じながら愚者への皮肉をメンバーの視点で語る(歌う)。
(自分で書いててもう誰が何の主体者なのかわけ分からん)
こんな詞を書くなんて、彼はきっとメタ認知に長けているんだろうが、更に踏み込んだ複雑な視点視覚を持っていると言えるでしょう。
こういうメタ認知のもうひとつ上をメチャ認知と言います(ウソ)。
そもそも Jones が演技者として Bowie を演じてんだからメチャメチャ認知… もういいか。
多様性を認めるボウイの寛容もメタ認知能力と関係するのだろう。
何でも分かった様に物事を限定しない。事象の外側にも何か無いか、上には、後ろには何か隠れてんじゃないか、という柔軟な姿勢。

突然復活の2013年のアルバム The Next Day の中の Where Are We Now? のサビの一節
The moment you know you know you know
ただ繰り返して歌ってんのかと思いきや
The moment you know, you know (that) you know (where we are now).
あなたは知った途端、自分が知っているという事を知ることになる。
knowing about knowing という metacognition(メタ認知)の定義そのものだ。

metacognition song?

孔子の、知之為知之不知為不知是知也(これを知るをこれを知ると為し知らざるを知らずと為せ、是れ知るなり)や、ソクラテスの無知の知にも通ずる考え方だろう。
しかしこれは自覚的な姿勢があって初めて可能になるもの。
悲しいかなテイラーにはその自覚が無かった。
井の中の蛙が神の使いを自称するも嘲笑されただけ。自分の住む世界は本当は途轍もなく広い大海なのに、限定してしまっていたのは他ならぬ自分だった。
その自ら限定した世界 = 自身の心の中、に吸い込まれて行く。

でも寧ろテイラーの方がロックスター然としてはいる。分別臭いスターなんて…
ま、ロックスターの定義なんかそもそもどーでもえーし、人によりけりだろうが、確信的に(傍から見て確信だろうと)突っ走って行くのが本物のスターの様な気もする。
ボウイは自身がそうなりきれない事を正に「知って」しまっているが故に自身を actor(演技者)だと見なしているのかも知れません。

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