歌詞和訳 Nirvana – Aero Zeppelin

Incesticide,エアロスミス,ニルヴァーナ,レッドツェッペリン

92年発表のアルバム Incesticide 所収。

Aero Zeppelin

(Kurt Cobain, Krist Novoselic)

What’s a season in a right
If you can’t have anything
What’s the reason in a rhyme
If a plan means anything
What’s the meaning in a crime
It’s a fan if anything
Where’s the leaning in a line
It’s a brand, it’s a brand
良い時期なんてあるのか
何も得られないで
韻に理由はあるのか
試みに何か意味があるとするなら
犯罪に意味はあるのか
あるとするならそれはファンの事
詞の一節に夢中になる事とは
それはブランド、それはカッコ良さ

How a culture can forget
Its plan of yesterday
And you swear it’s not a trend
Doesn’t matter anyway
They’re only here to talk to friends
Nothing new is everyday
You could shit upon the stage
They’ll be fans, they’ll be fans
They’ll be fans, they’ll be fans
ある文化がその過去を
忘れ去る様子
そんなのは流行じゃないって言い張るけど
まあどうでもいいか
ファンはダベる為だけに集まる
同じ毎日の繰り返し
ステージに糞でも垂れてみろ
奴らは夢中になるぜ
きっとファンになるさ

All the kids will eat it up
If it’s packaged properly
Steal a sound and imitate
Keep a format equally
Not an ode, just the facts
Where our world is nowadays
An idea is what we lack
Doesn’t matter anyways
キッズはみんな食いつくだろうよ
体裁さえ良ければな
音を盗んでマネちまえ
フォーマットは変えるなよ
これはオマージュなんかじゃなく、ただの
今のこの世の実態
俺達に足りないのは思想
どの道たいした事じゃないが

公式発表は92年の寄せ集めアルバム Incesticide の中だが、作られたのは88年。
Aerosmith と Led Zeppelin をくっ付けた題名。
ただ作者コベインはこれら2つのバンドではなく GN’R や Kingdom Come そして自分達 Nirvana の事を歌ったものだと言っていたそうな。
詞中に出て来る imitate (模倣)は音楽に限った文化の継承の仕方ではないが、自分達をも含めた彼の物言いはしかし、謙遜しながらも、自分達の音楽がただの模倣ではない自負の裏返しか。
無論本作は Aero っぽくもなけりゃ、Zep っぽくもない。彼の言う事を額面通り取るだけでは真意を取りこぼしかねない。皮肉や韜晦をかいくぐって初めて彼の本当に言いたい事にも到達できる(気がする)。「俺の詞に意味なんか無い」をそのまま信じたらあきまへん。

Aero と Zep からの影響を公言していた GN’R とは対照的に、Kingdom Come はモロパクリと非難された。

Zep のクローンと言われた Kingdom Come

私は好きだったなあ、あの声も。
でもこれなんかを改めて聴いてみると、パクリと言う者が出て来るのもむべなるかな。
一方で、仮に意識的にパクっていたとしても、好きだからこそであり、その時点で立派な「オマージュ」と言えなくもない。
コベインはこんな柔軟なものの見方をも心得ていただろう。だから彼がそんな一部の世論や同業者(Gary Moore はその急先鋒だった)と同様に Kingdom Come を単に非難するつもりで引き合いに出したのではなかろう。

Zep については、Nirvana もデビュー前からよくカバーしていた経緯があるので、専ら模倣される側のハードロックの元祖という扱いで題名に引用したのだろう。
祖と崇められるその Zep が先人達を多く「パクって」来たのもまた事実。

デビュー前の Nirvana による Zep カバー

歌唱も演奏もそもそも「完コピ」しようとしていない(ま、出来なかったのかも。歌唱については声質や声域が本家とは当然違う)。
スタイルを抽出するだけでなく、idea を加味している。当然オマージュでもあろう。

一方 Aero に対しては揶揄を込めていた嫌いは否めない。
コベインも Aero のファンを公言してはいたがそれは飽くまでも70年代の彼らについて。
コベインが本作を書く前の87年、Permanent Vacation を発表した Aero は「商業的」復活を遂げている。

因にこの Aero 再起アルバムのエンジニアは、上の Kingdom Come のデビューアルバムのプロデューサーでもある Bob Rock であり、彼は後に Metallica 等も担当する。

では、逐語的に…
in a right の部分は正直、聞き取れなかったが、コベインの直筆ノートにそうあったので無責任にも転載。
そして更に無責任な事に、対訳を付しておきながら意味ははっきりとは分からない…
何も得られない、とは恐らく、何の idea も無い、無味の曲に対する揶揄だろうとは思うが…

韻に理由はあるのか、と言っていながら作者自身は律儀にもほぼ全編に亘り脚韻を施しているのが人を食ってるみたいでシャレてます。
しかも彼の韻文には寓意だらけ(すっとぼけるにも程がある)。
そしてロックの「犯罪」に言及。ブランドだと飛び付くファンは被害者でしょうか、共犯者でしょうか。

culture の件、直筆ノートには、

 How a culture comes again
 It was all here yesterday

とあるが、そうは歌っていない。ここは私の聞き取りを採用(先の無様の挽回)。

聴衆は話の種を求めてやって来る、だから舞台上にウンコ垂れてもファンになる、とはなかなかの暴論だが、言わんとする所は分かる。
ただ騒ぎたいだけの者達への強烈な皮肉です。
同様の揶揄は In Bloom にも描かれています(ウンコじゃないよ)。
ファンになった時点でその対象からある程度の牽制を受けるという、いけずぅな状況。

そして今度は作る側の package に言及。
この言葉が私には Aero への当て付けに思えてならない。
付焼刃の(失礼!)ホーンセクションにも外部作家にも罪は無いが、あの Permanent Vacation の「完パケ」っぷり。
まさか88年当時コベインは後に Aero のレーベルメイトになるなんて思いもせなんだろう。否、彼は内部に食い込んで炸裂してやろうとハナから画策していたのか。
GN’R(同じくゲフィン内メイト)との軋轢なんぞも、売る側のレーベルによる、今で言う炎上商法みたいなモンと思っていたが、コベインはそんなマッチポンプに加担する様なタマじゃないか。
こんな曲はレーベルにとっては勿論、音楽シーン全体にとっても獅子身中の虫だったろうが、Nirvana 自身が権威に成りおおせた92年なら発表しても問題無しとゲフィンは踏んだのだろうか。

で、最後のシメ。idea が無いのは we(俺達)だと言う[嘯く]。
そして続けて、これは2度目だが、Doesn’t matter anyways (どーでもいい)と、自身の深い洞察を投げ遣り気味にいきなり遮断する。
嫌気が差したのか照れ隠しなのか、それともただの天邪鬼なのか、はたまた如何ともしがたい葛藤の弛緩なのか。
本人も半分位は模倣(と言うか継承)を、意図的にしおらしく認めつつ先人達にオマージュを捧げているのだろう。
ただ彼には lack(欠如)どころか、メインストリームに対峙し本質を暴く「思想」だらけ。そしてこのテーマは様々なモチーフを土台に、形を変えつつ、多くの曲に貫かれている。
本質の開示に対するセンセイショナリズムとの論難は容易だし実際にありもしたかも知れないが、彼の歌はそれのみに堕してなどいない。それは使命感の自然な帰結として歌が生まれるからだろう。
でもまあ、私が今やっている様なこんな分別臭い論評を加えられるのも嫌だからこそ Doesn’t matter anyways と煙に巻いたというのが本当の所かも知れず…

コベインの詞は一人称が多く内向的だとよく言われるが、そんな簡単な断定的な物言いは皮相しか観察していない証左。
たまたま本作の詞には I が皆無だが、だから上の説は正しくない、などとそれこそ薄っぺらい事が言いたいのでは勿論なく、注目すべきは冷静な彼のメタ的な洞察力、慧眼。

Smells Like Teen Spirit の中の有名な一節、

 With the lights out, it’s less dangerous
 明かりを消せば、危険は減る

元々言語は明瞭なこの比喩の、具体的な真意も自ずと見えて来ようもの。