1983年のメガヒット Let’s Dance に続いて翌84年に発表した第16作アルバム Tonight の開始曲。
Loving The Alien
(David Bowie)
C D Em
Em D6 CM7 D6 B7
D6
The Templars and the Saracens
CM7
They’re travelling the holy land
D6 B7
Opening telegrams
テンプル騎士団とサラセン人をじっと見る
彼らは聖地を旅する
それはテレグラムの始まり
Knights who’d give you anything
They bear the cross of Coeur de Leon
Salvation for the mirror blind
何でも与え給う騎士は
獅子心王の十字を背負う
それは自身が見えぬ者の為のせめてもの救い
Dm Am Fm G
Pray and the heathen lie will disappear
祈りなさい さすれば異教徒の嘘は消え去るであろう
Cm7 Bm7
(Believing the strangest things, loving the alien)
And your prayers they[will] break the sky in two
(Believing the strangest things, loving the alien)
Em
(奇異なるものでも信じ、異邦人を愛す)
そしてあなたの祈りは天空を二つに割るであろう
(奇異なるものでも信じ、異邦人を愛す)
Em D6 CM7 D6 B7
Palestine a modern problem
Bounty and your wealth in land
Terror in a best laid plan
現代のパレスチナ問題
報奨金やあなたの土地に眠る富
よく練られたテロ計画
Tomorrows and the yesterdays
Christians and the unbelievers
Hanging by the cross and nail
行ったり来たり
キリスト信者と不信者
釘で十字に架けられる
→(bridge)(chorus)
(Believing the strangest things, loving the alien)
And you’ll believe you’re loving the alien
(Believing the strangest things, loving the alien)
(奇異なるものでも信じ、異邦人を愛す)
すると異邦人でさえ愛しいと強く思うであろう
(奇異なるものでも信じ、異邦人を愛す)
C D Cm7 Bm7 Em
何という単調で緩慢なリズム!
作者の多面性多様性なぞ知る由も無い中二病真っ只中の私は、前作っぽい作品を勝手に安易に求め、そしてこんな風に勝手に失望したのでした。
ところが年を経るにつれ、なぜか自身の心の中に、このアルバムの、就中本作の引っ掛かりがどんどん大きくなる。
題名から何となく自分とは違う者への愛の歌なんだろうとは当初より思っていた。しかし仔細は元より、聞き取りすら出来ぬ所も多かった。
なもんで、今、解釈なんぞを試みとるわけです。
この動画に付いたコメントに、英語話者と思しき二人の遣り取りがあった。
甲「they hide the saddest news」
乙「the saddest view だよ」
甲「知らんかった!」
歌の聞き取りなんてどんな言語でもまあこんなモン。
日本語話者たる私も、小6の頃、山下達郎の Ride On Time を初めて聴き、その一節「届けにゆこう」を「届け忍法」だと聞き違え、しかし疑わなかった。題名は随分バタ臭いというのに、都会のシティボーイは「燃える心」を「迷わず」相手に届けるのに、意外にも古風なやり方で念じるんだな、と。続けて出て来る「心に火を点けて」も火遁の術か何かだと思っていた。
テープは伸びてなかったと思うが…
話が逸れました。
では、逐語的に…
テンプル騎士団にサラセン人… ま、こんな言葉を聞き取る事なんか出来るわけない。
辞書を引いた所で、むむ、何か世界史の十字軍あたりで聞いたことある様な… 程度の知識。
仕方なく調べる。
Templars = Knights Templar (中世の宗教騎士団のテンプル騎士団)に属する騎士達。
the Saracens = サラセン人。欧州でのアラブ人の呼称。ギリシャ語で蛮人を指す言葉が語源、即ち蔑称であり、当然他称。
古今東西を問わず散見するやり方。例えば…
東夷 = 東の好戦的な未開人 = 支那から見た朝鮮人や日本人
ベルベル人 = ベラベラと訳の分からぬ言葉を話す者、等々…
後出の heathen も同様に元は蔑称。heath(荒野)に住む未開人。
これをボウイは後のアルバム表題にも冠している事からも分かる通り、alien や heathen という、彼我の区別によって自身のアイデンティティを確認しようとする様な言葉を逆手に取ったテーマを多く提示しています。狂気対正気の二項対立なども同様。相手から見れば自分こそが alien だという視座をボウイが持っているのは間違い無い。
私の知識が正しければ、telegram(電報)は11世紀にはまだ存在していません。
長距離を移動する彼ら兵士により情報が広範囲に亘って流動的になった事を指して遠い(tele‐)文字(gram)の伝達の始まり、という表現を用いたのだろうか。
冠詞が無いので、他動詞 open の現在分詞+目的語、即ち学校文法に言う分詞構文。
この頃、ノルマンコンクエストもあり、情報に付随する語彙の流入も活発になった結果として英語(アングロサクソン語)に仏語経由のラテン語が多く取り入れられた。そしてその中には「遠い」アラビア語由来の言葉も含まれていたのだろう。
Torture comes and torture goes
ビデオにも拷問らしきものに掛けられ悶えるボウイが見えはする。
戦闘が散発する様を指すのでしょうか。兵士にとっては勿論、残された家族にとっても責め苦の様なもの。
ただその戦闘の前線に立つものは騎士団の中でも僅かで、他の多くの者は商業や金融に従事したらしい。
これを従事軍と言う。(ウソです)
彼らは他の商人から反感を買う程に裕福だったらしい。(これはホントです)
だから「何でも与え給う」たのでしょうか。
Coeur de Leon < Cœur de Lion(仏語) = heart of lion(英語) = 獅子の心臓
Leon なんて言葉は英語に無いが、ライオンでなく仏語風にリオンと発音させる為の意図的誘導的なミススペリングだろう。
獅子心王リチャード1世(Richard the Lionheart)か、或はわざわざ仏語風発音表記にしているので獅子王ルイ8世(Louis VIII le Lion)の事か。
神への信心と王への忠心、しかしそれを指してボウイは blind と言います。
迷いの無い忠誠(盲信)こそが彼らにとってせめてもの救いだったと言っているのか。
ブリッジとサビは対訳のままで意味自体は通ると思うが、正直、ボウイの立脚点は計りかねます。
「空に掛かった罪」とは裁く事も裁かれる事も無く、宙ぶらりんだという事を言うのか。
それは一見、根本的解決とは到底思えないが、それにより「heathen の嘘は消え去る」、つまり相手の敵対的な妄言も気にならなくなるという事か。
これは私にはキリストでもイスラムでもなく、法然の逸話を想起させます(後述)。それはなかなか容易な事ではないでしょうが。
そしてやはり全体では、祈りを奨励するのか、盲信と非難するのか、ビミョーな所。
そして時代は下り、パレスチナ問題。
この部分は韻文としては何だかカッコ悪く見えます。
続く2行は、land/plan と、取って付けた様な押韻…
などと自身の解釈の至らなさを文体批判でごまかしてみたりして。
ところで今でもガザでは両軍睨み合っています。
第一次大戦後の英国による三枚舌外交が元凶。この史実を英国人ボウイはきっと知っているだろう。
インティファーダがこの曲発表の3年後の87年に始まります。
wealth in land は石油、bounty は terror に支払われる報奨金の事だろうか。
ただ、聖戦と言うキレイな言葉なぞ、自己正当化と blind な自軍兵士に対する鼓舞の為の体のいい口実に過ぎない。
追記
アラブとイスラエルの戦争がまた始まった。何故繰り返し戦争になるのか疑問に思っていたが、10年ほど前イスラエルを訪問した時ベンシトリット外務次官が言っていた。攻撃はいつもアラブ側から始まる、これはイスラエルに対する攻撃要請の合図なのだという。イスラエルの空爆でアラブ側に大被害が発生し…
— 田母神俊雄 (@toshio_tamogami) October 8, 2023
全文
アラブとイスラエルの戦争がまた始まった。何故繰り返し戦争になるのか疑問に思っていたが、10年ほど前イスラエルを訪問した時ベンシトリット外務次官が言っていた。攻撃はいつもアラブ側から始まる、これはイスラエルに対する攻撃要請の合図なのだという。イスラエルの空爆でアラブ側に大被害が発生し世界から支援金が集まる。これを一部のアラブの有力者が使い道を決めるのだと言う。欧米諸国の建設会社も復旧事業には参画できるそうだ。目からうろこであった。
今回の主犯はハマスなる武装組織、もっと言えばテロ組織なので、これをパレスチナ況してやアラブ全体と混同してはならぬが、残念乍ら紛争の止まぬ背景として腑に落ちる逸話ではある。
私は信心がありませんが、家系は浄土宗です。
その開祖法然は武家の出で、一説には9歳の時、父親が闇討ちに遭い重傷を負った。しかし父の瀕死の床で法然は、報復の連鎖は愚かだと言い含められ仇討を禁じられる。
仇討が、法によって、また慣習としても認められた鎌倉時代にあって、法然はこの遺言を守った。
ボウイはチベット仏教に傾倒した事がありました。
日本の仏教との同異を私は知らぬが、Loving The Alien とは、父が説き法然が実践した、罪を憎んで人を憎まぬ事を言っているのでしょうか(罪をも憎まぬ事?)。
浄土の念仏とキリストの祈りが同じ様な効能を持つかどうかも知りませんが。
結局、自分で取り上げておきながら理解が及ばなかった様です。
ここに懺悔します。
しかしこんな罪の告白に神はいちいち取り合ってくれるや否や…
あ、何度聴いてもサビ前の15拍(5拍x3?)のブレイクの所では今だにリズム迷子になっちゃう事もついでに白状します(演者達はどうやって数えてんだろ?)。
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