スポンサーリンク

歌詞和訳 Nirvana – Serve The Servants コード

1990s

1993年発表、Steve Albini プロデュースの第3作アルバム In Utero の開始曲。

Serve The Servants

(Kurt Cobain)

*半音下げチューニング
 B7          E7
 Teenage angst has paid off well
 F#7        E5
 Now I’m bored and old
 B7        E7
 Self-appointed judges judge
 F#7         E5
 More than they have sold
「十代の苦悩」はよく売れたけど
もう俺もウンザリだしそんな年じゃない
売れてもない者が勝手に
ジャッジを名乗ってジャッジしてんだもの


 B7        E7
 If she floats then she is not
 F#7         E5
 A witch like we’d thought
 B7       E7
 A down payment on another
 F#7      E5
 One at Salem’s lot
彼女はもし浮き上がったとしても
皆が思ってた様な魔女じゃない
セイラム魔女裁判の
再来に期待してんだろ


A      C#m
 Serve the servants, oh no (x4)
    F#5     C/G     E7
 That legendary divorce is such a bore
召し使いに仕えてろよ
伝説的な離婚だとよ 下らねえ


 B7          E7
 As my bones grew they did hurt
 F#7      E5
 They hurt really bad
 B7      E7
 I tried hard to have a father
    F#7     E5
 But instead I had a dad
骨が成長するにつれ痛んだ
ひどく痛かった
父親を得ようと腐心したが
得たのはパパだった


 B7      E7
 I just want you to know that I
 F#7       E5
 Don’t hate you anymore
 B7      E7
 There is nothing I could say
     F#7       E5
 That I haven’t thought before
ただ俺はもうあなたを
嫌ってなんかいないって分かって欲しい
思ったためしもない事を口にするなんて
できっこないから


A      C#m
 Serve the servants, oh no (x4)
    F#5     C/G     E7
 That legendary divorce is such a bore
奉公人に奉公しろ
伝説的な離婚だとよ 下らねえ


(interlude in B7 E7 F#7 E5)


A      C#m
 Serve the servants, oh no (x7)
    F#5     C/G     E7
 That legendary divorce is such a bore
召し使いに仕えてろよ
伝説的な離婚だとよ 下らねえ


ダサかっこいいリフの正体が7度の響きだったって事や、バースとブリッジがブルーズ進行だなんてこれを書くまで全く考えた事もなかった。新鮮な発見。1,2弦の開放(と冒頭の不協和音)がそれを妨害する程のテンションを与えているのも事実ではあるが。
コードネームがよう分からんので単にF#7とやってます。sus4?それとも11度?Eで考えれば減5度だろうか。ま、半分位はギターの構造自体が生み出した響きではあろう(弦は半音下げ)。

Kurt Cobain(1967-94)が Leadbelly(1888-1949)を好きだった事と、後述の詞の内容とを併せ考えると、本作は原始のブルーズ(blues = 憂鬱)に近いものだと言えそう。

ブリッジの節のシンコペを均すと、Kiss のディスコロックの I Was Made For Lovin’ You のサビとほぼ一致。
コベインは自室に Kiss のポスターを貼る程のファンだったが、このディスコ調が好きだったとは考え難い。でもやっぱ耳には残ってたんじゃないかと勝手に憶測(ま、少なくともパクリではない)。

前作 Nevermind(91年)のメガヒット(累計2,600万枚)は皮肉にもアングラを自任するバンドを主流へと押し上げただけでなく、グランジ(狭義)やオルタナティブ(広義)と呼ばれた音楽の新たなジャンル全体を牽引し、傍系更には似非クローンをも多く生み出すに至った。
メジャーレーベルのゲフィンと契約し、売れるレコードを作る事はコベイン本人の意図でも勿論あった。一例としては、ボーカルの二重録りに当初は難色を示したものの彼の敬愛するレノンも同じ手法を採用していたとプロデューサーに諭され、結果的には取り入れている。
しかしこういった radio-friendly なオーバープロデュースに欺瞞を感じたのか、今作ではバンドの生の音を志向しアルビニに依頼するに至る。彼のアルバム制作の方針は単純明快、バンドの姿を正当に反映する事。つまり、バンド本位に考え、自ら指示したり音を作り上げたりせず、録音とミックスをはっきり分けないやり方。本人もプロデューサーと言うより録音技術者を自任していた。


アルビニの録音の方法論/哲学が詳細に記された手紙がプロデューサー着任直前の92年11月にメンバー3人に宛てて送られていた。

I would like to be paid like a plumber
Pitching Nirvana

2024年5月7日、スティーブアルビニ逝去、享年61。

Steve Albini, Studio Master of ’90s Rock and Beyond, Dies at 61
A musician and audio engineer, he helped define the sound of alternative rock while becoming an outspoken critic of the ...

合掌。


では、逐語的に…
eleven, twelve, thirteen, fourteen, … nineteen
teenage = 13から19歳の期間 (十代という訳出は厳密には誤り)
angst(独語) = anxiety(英語) = 不安、苦悶
teenage angst とは恐らく Nevermind 或はその中の代表曲 Smells Like Teen Spirit を指す。
paid off < pay off = (自動詞句で)うまくいく、成功する。

自身に対する皮肉も込めてアルバムのド頭をこんな表現にしたのだろう。
David Bowie にも通底する(と私が勝手に思う)現象の捉え方。流行に追随する者の多くを似非と見なし、bore を感じてしまう。
ま、それすら次作のモチーフになり得ると言いだしたらキリが無いし、そもそもレイトマジョリティーまで含めた多数者が半ば盲目的に後追いする事が流行の定義そのもので、況して彼らはそれで飯を食っているのかも知れぬが、それを生み出した張本人たる作家にその現象が bore となって強烈にフィードバックした事がコベインがこの世にいない理由の一つだとも思う。
90年頃、私はボウイが死んじゃうんじゃないかと何故か本気で思い込み勝手に不安になり、周囲にもアホみたいに吹聴していました。その予想は見事に外れ、私はただの大嘘つきになったが、今ならその大外れの原因が自分なりに理解できる。
本作就中冒頭は、フィードバックされた bore のガス抜きをコベインが試みたもの。しかし如何せん入力の値が大き過ぎて後に破綻に至る。
ボウイの場合は、bore の入力を更なる虚無でかわしつつも皮肉に転換して再出力する事でバランスを保った。これを可能にしたのは実兄の狂気に触れる事で経験的に得た自身の狂気の内在の自覚だろう。本人も明言しているがボウイは actor(演技者)だった。Ziggy はおろか Bowie ですら仮面だった。生身の David Jones がフィードバックに耐え得る強靭な器でない事を彼は知っていたが故の言わば予防線だった。

狂気(insanity)なんて程度の差こそあれ誰にでも宿るもの。社会性の要請が人間に正気(sanity)を(無理に)与えたんだろうから、順序としては狂気が先。
だって赤子のオギャーも、正気を獲得した(つもりの)大人から見りゃ狂気の沙汰に他ならぬ。
なもんだから、(自身にも元々備わってた筈の)他者の狂気の表出を目の当たりにし、それを不快に感じなけりゃ人はそれを憧憬や羨望を込めて芸術と呼んだりする。
で、それが人の琴線でなく、(一応)体系化された正気たる法に触れりゃブタ箱行き…

話が逸れました。
old を「俺もそんな年じゃない」と訳出しているのは、本作を書いた時コベインは恐らく25歳で、「年をとった」程ではないが teenage は疾うに過ぎていたから。

Self-appointed = 自分を任命した = 自任、自称の
judges judge = 複数名詞+動詞、判事が判決を下す

More than they have sold
自称ジャッジ(= メディア)の越権行為を牽制。
大衆の代表だと勘違いしちゃってる記者の厚かましい取材態度が鼻に付いた経験は誰にでもおありだろう。    
第四の権力(本来は power でなく estate = 階級、の意で、誤訳らしいがまあいいや)とも言われるメディアだが、正式な国家権力の判事よろしく審判を勝手に下す様を皮肉っている。
端的には she = Courtney Love(コベインの妻)と彼らの娘 Frances Bean Cobain に纏わる事。
妻の妊娠中のヘロイン使用がメディアに取り沙汰され、児童福祉施設がその娘への影響を懸念し、また彼らの育児能力を疑問視し、親子の間に介入するに至る。

コベインはこの行政介入をも自称ジャッジによるジャッジに含めて皮肉っているかも知れぬが、薬物使用と胎児へのその影響が事実であれば、これはもう正当な行政行為。分別ある(と見なされる)大人がキメるのは勝手だが、子とは切り離して考えるべき。
これはセックスドラッグロケンロール批判です。私はコベインの書いた歌が大好きだが、それはそれ。是々非々。
それに少なくとも薬物使用が名曲を書く為の必要条件では絶対にない。薬物の力を借りて生まれたと喧伝される名曲も数あるが、その真偽だって怪しいもの。
コベインだって何でも彼でも追随する conformist が大嫌いで、無闇な薬物容認主義者ではなかった。少なくともこの手の批判を冷静に聞き入れる姿勢は持っていた筈。
ただ私も一般論として、全ての薬物即是悪、だなんて気は更々ありませんが。

Oudewater_heksenwaag
she floats = 彼女が浮く
これは、薬物でハイになるという俗語の含意と、すぐ後の witch(= 魔女)が箒に跨って空を飛ぶ行為との掛詞だと考えます。
宙に浮く魔女は体が軽いと考えられ、その判定に魔女の秤なるデカい秤が使われた(オランダに現存)。
この計量で実際に断罪された者はいないらしいが、悪い冗談としか思えぬ。


 訂正
witchfly
この魔女のイメージから、float を「宙に浮く」と取っていたが、正しくは「水に浮く」。
dunking と呼ばれる下の様な「判別」方法も取られていたそうな。
witch-dunking


down payment = 頭金、手付金
論争を起こしそうな、つまりメディアにとって金になりそうな事象を先物買いしているという事だろう。

Salem’s lot (呪われた町)は、映画化もされた、スティーブンキング原作の長編小説。


妻(と自身)が魔女狩りに遭っている様を Salem witch trials(セイラム魔女裁判)になぞらえている。
そして、魔女裁判の多くが民衆法廷で行われた事に因んで自称判事(self-appointed judge)という表現を持ち出し、不当なジャッジと冤罪の悲劇を世に訴える(コベインらが焚刑等の極刑に実際に処せられたわけでは勿論ないが)。妻を完全に擁護。
私は彼女にあまり良い印象を持たぬが、それとて所詮はメディアを通して見聞きした不完全な情報で評価した結果かも知れず。

そして表題まんまのサビ。仕える者に仕えよ。
大衆に仕えるべきメディアが真実を伝えるという本分を怠っている実態に対する当て付け。
司直や議員だけが公(public)に仕える(serve)べき公僕(public servant)なのではなく、今や四番目の権力者と認められたメディアも同様に正当に serve せよと言うのです。

コベイン7歳時の両親の離婚が彼の人格形成に多大な影響を与えたと書き立てるメディア(この事自体は嘘ではなかろう)。
長じてロックアイコンになった者の過去を勝手に洗い出し、親の離婚を伝説とまで形容する誇張は最早陳腐に堕している。
That legendary divorce is such a bore

第2バース、ブリッジは、離婚後彼を引き取った実父に関するもの。
時の経過はトラウマを解消し得なかったと見え、長じるにつれ苦悩が逆に多くなった事を骨の成長とそれから生じる痛みに準えている。
典型的な父親像を望んだが果たされなかった。しかし、過去には憎みもしたが、もう嫌ってなんかいない、分かって欲しいと告白。
切ない。私は本作に関してはほぼこの部分のみが胸に刺さっていました。後は表題サビが何かしらの皮肉なんだと。妻に関する第1バース、ブリッジは理解どころか聞き取りすら儘ならなかったのが正直な所。

父についての告白から再び同じ表題サビに続く。
こうなるとやはり当時のメディアは彼の父の、親としての資質に対しても疑問と好奇の目を向けていたのだろう事が窺える。そして彼は妻の場合と同様に擁護する(後悔や謝意も込めて)。

(ロック)スターの宿命と言ってしまえばそれまで。有名税。本人だってある程度は覚悟していただろう。
怪物アルバム後、初の公式スタジオアルバムには否が応にも圧倒的多数の注目が集まった。そのド頭に本作を据え、不快感をそのまま表すかの如き不協和音で幕開け、そしてその第一声に自身に対する皮肉をも込めたのは当然と言えば余りにも当然。何故なら彼は、メディアのみならず、彼が似非と断じた者達とも対峙しなければならなかったから。
そして何より真正面に向き合うべきは自分自身だった。

強烈な再出力だった筈なのに結果的にフィードバックは破綻。
他者の裁く資格に疑義を呈した者が皮肉にも自裁を遂げる。
In Utero 発表から半年余りでコベインは多くの先輩を引き連れ 27 club を創設するに至る。

27club
本当の「創設者」は無論メディア。

コメント